「堀江はるよのエッセイ」

〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜

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 西


二の巻

パジャマ 

新聞小説 

アングラ芝居 

慣用句







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パジャマ

















 体操教室に通っている。
 都心のカルチャーセンターだ。

 思い切って申し込んで、さて当日、
 “ふさわしい服装で”とあるその“服”が無いのに気がついた。
 膝を楽に屈伸できるニットのパンツ、トレーナーの類を、私は全く持っていない。

 家中ひっくり返したら、娘が泊まったときに着たパジャマが出てきた。
 モスグリーンの変わったデザインで、“寝間着”には見えない。
 気を張って着れば大丈夫だろうと、リュックに入れた。

 それからずっと、それを着て体操している。
 一年半になるが、誰も気がつかない。
  ……ように見える。


      
新聞小説







































 
男がいる。
 旅先で二人の女と会う。
 男は、その一人に心をひかれ、二人だけで会う約束をする。
 二度目に会ったとき、男は女をホテルの自室に誘う。
 三度目には、ベッドを共にする。

 男が何を思い、どのように女に触れていったか、
 女の体が、それにどのように反応したかが、克明に語られる。

 読んでいて、何か連想するものがある…しばらく考えて分かった。
 グルメ書くところの「活け造りの刺身を食するの記」である。
 皿の上のサカナに、人格は無い。

 話は飛ぶ。

 十代の頃、電車の中で妙な体験をした。
 手提げ袋の柄を持った私の手の中に、男の手があった。
 “あれ”と思った瞬間、手は消えた。目を上げると側に若い男が影のように立っている。
 錯覚だったかと目を反らしたが、しばらくすると手が戻ってきた。

 私は探し物をするように、手提げ袋の中を覗き込んだ。
 気がついていることを、それとなく男に伝えて、自発的に退却してもらうつもりだった。
 かなり長い間そうしていたのだが、そのときの男の態度が妙で忘れられない。
 男は手を引っ込めて、私の側で「待ちの態勢」に入ったのである。
 彼にとって都合の悪い動作を、私が止めるまで…
 この不都合な状態が解除されるまで…
 まるで、“おあずけ!”と言われたワンちゃんのような様子だった。

 微かに、男が焦れる気配を見せたとき、
 私はハッキリと体を動かして、離れた場所に移動した。
 男にとって私はエサ、皿の上の刺身にすぎなかったのだろう。


 話を新聞小説に戻そう。

 女をこんなふうに書く人、それを一般紙に載せる人…人たちが、
 私は、どうも“気もちわる〜ぅく”思われてならない。

     
アングラ芝居
















































 
知り合いの若い人が仲間と芝居をするという。
 いわゆるアングラ芝居。名前から、地下室で見るのかと思ったら、
 会場は商店街のタバコ屋の角を曲がってすぐの、小さな建物の二階だった。

 舞台は幅が4間くらい、奥行きが浅くて棚のように見える。
 客席は雛壇になっていて、縞の小さな座布団が並べてあった。
 出し物は時代劇で、申し訳ないが、相当に可笑しかった。
 ヒールを履いたように腰を高くして歩く男女は、日本人には見えない。
 背景に、その時代、その場所を選んだ意図が不明で、
 殺陣だけが、スポーツのように立派だった。

 それが去年。現代劇の今年は、雛壇にパイプ椅子が並び、
 縞の小さな座布団は、その上に置かれている。

 今回は、来ようか来まいか、知らせを貰って迷った。
 又ああいうものを見せられたら、「どうでした?」と聞かれても言葉が無い。
 といって若い人に、傷つけるのを怖れてウソを言うのも嫌だ。
 さんざん迷って、ともかく出てきて席に座った。


   気がつくと微かに虫の声が聞こえる。
   気のせいか…と思ううちに、場内が真っ暗になった。
   ほとんど闇に近い舞台の下手から、荷物を引き摺るように持った男が出て、
   パントマイムで扉を開け、這うようにして無人のバスの座席に、へたり込んだ。
   やがて舞台は明るくなり、数人の男女が現れる。


 何が変わったのだろう?
 役者の体が去年と違うのか…
 投げ合うセリフが、空中で絡んで弧を描く。
 芝居としての甘さは、まだある。育ちきらない者もいる。しかし、
 フラッシュを焚いたように、心に残る場面があり、
 その時々に感じたことが、肌に残った。

 “来て良かった…”
 
 いささかヘロヘロした挨拶を聞きながら、私は拍手した。
 若さとは、何と豊かに力強いものだろう。彼らはこの一年をどう過ごしたのか。
 生い茂る若木のようなエネルギーで、自分を育てることに驀進したのだろう。
 私も自分を育てようとしているけれど、六十歳のそれは休み休みで、ゆっくりだ。
 ときどき行く手が霞んで、これでよいのかなぁと心もとなくなる。
 
 席を立って、焚き火に手をかざしたような気分で、表へ出ると、
 いま舞台にいた出演者たちが、建物の前にバラバラと並んで、
 “あっりがとうございました〜!”と叫んでいた。


      
慣用句































 “御主人の御理解があって、お幸せですね。”と言われることがある。
 夫に妨げられずに好きな仕事が出来て、幸せですね…くらいの意味だろうか。

 “御主人のお蔭で趣味が生かせて、いいですねえ”とも言われる。
 人が一生懸命していることを「趣味」と断定した上で、
 それを発展させられるのは、ひとえに夫のお蔭である…と言っているわけで、
 自分の窓からしか、ものを見ない人だなぁと思う。

 外出先で夜おそくなると“御主人は、いいの?”なんて聞かれる。
 夫婦のことは夫婦で考えるのに…


 少し昔、“どちらへ?”という挨拶があった。
 家を出たところで近所の小母さんに会う。
 小母さんはニッコリ笑って言う。“あら、どちらへ?”
 “病院へ”などと言えば“まあ、どうかなさったんですか?”となるが、
 それが嫌なら、こちらもニッコリして答えれば良い。“ええ、ちょっとソコまで”
 エールの交換みたいなものだ。


 ほとんど慣用句のような会話がある。
 “御理解のある御主人で、お幸せですね。”
 “いいえ、そんなんじゃないんですよ”

 深く考えることはない。エールの交換なのだ。
 こだわらずに、お互いの善意だけを受け取れば良い。
 そう考えてみるのだが、何にせよ私たち夫婦の大切な歴史を、
 “そんなんじゃない”と一括りにしてしまうことが、やっぱり私には出来ない。


     
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