「堀江はるよのエッセイ」 〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜 |
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豆腐屋 | |||
その豆腐屋は、昼ごろ店を開ける。 小さめのガラスケースに、厚揚げ、薄揚げ、ふっくら大きな昔風のがんもどきが並ぶ。 洗い上げたコンクリートのたたきの向こうの小部屋の上がりかまちに、 黒い膝丈の長靴が一足、むこう向きに揃えて脱いである。 声をかけると、肩の四角い小ぶりな老人が、 背中を丸くして二つ折れになって、鳥のような格好で、ゆっくり出てくる。 たぶん、九十を過ぎているのではないだろうか。 ある日、前を通るとシャッターが半分下りていた。 入り口をふさぐように、自転車が横付けになっている。 ガラスケースの前にも、ゴチャゴチャと物が置いてあった。 一ヶ月ほど、そんなふうだった。 あの歳だもの、もういけなくなったのだろう… もっと度々、買うのだったと悔やんでいたら、ある日、店が開いた。 寄ってみると老人が居て、前より十ほど若返って見えた。 月に二度くらい、私は豆腐屋に寄るようになった。 老人は、あれからずっと元気だ。 身ごなしはゆっくりだけれど、大儀そうには見えない。 年齢に逆行して若くなってゆくようにさえ見える。 「小父さんは、だんだん若くなるのね。」と、 冗談半分に言いかけて、私はやめた。 誰が、だんだん若くなることが出来るだろう。 昨日は出来た事が、今日は辛くなる…そういう思いを、 乗り越え乗り越え、彼は毎日を生きているのではないか。 年齢に逆行して若返ってゆくような気がするのは、 私が傍観者であるからに過ぎない。 確実に進む老いに、しおしおと従うのでなく、虚勢を張るでもなく、 来る日も来る日も、坦々と仕事をしているこの人を、支えているものは何だろう。 先生はいるけれど、レッスンは受けられそうにない。 私の前に、豆腐を掬う老人の、清々しく刈上げた白髪の頭がある。 2004.12 |
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堀江はるよ公式サイト・エッセイで描く作曲家の世界 <カタツムリの独り言>
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