「堀江はるよのエッセイ」

〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜

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五の巻

パリ祭

ジュース

紫蘇







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パリ祭
(フランス革命記念日)


































 “あ、アルベールが来たわ!”という声。

 群集の中から白い背広の青年が現れて、ミディ丈のスカートの娘たちと踊る。
 フィルムで映し出された光の線の「雨」が降りはじめて、人々は退場、
 アルベールは一人、靴屋の軒先に雨の止むのを待つ。

 6歳のころ、初めて見た宝塚歌劇の舞台の、幕開きはパリの街角だった。


 家に、手回しの蓄音機があった。
 小さなトランクのような箱を開けると、ターンテーブルがあり、
 曲がった管にゲンコツを付けたようなのが、アームとスピーカー。
 その下の金属の針を、回転するレコードの上に降ろすと、
 音が、ふらふら揺れながら出てくる。

 レコードの中に、シャンソンの「パリ祭」があった。
 男の人にしては軽い、鼻にかかった声で、しめったような感じがする。
 繰り返し聴いて、まねて遊んだ。

  ♪ あパリ どぅシャ プフォブ〜
        ???…??…くーじゅるドゥイ〜 ♪

 レコードの向こう、パリの街角に雨が降り、
 しめった声の青年は、雨宿りの軒先を探していた。


 血なまぐさい革命の発端となったバスチーユの陥落が7月14日、
 それを記念した祝日がパリ祭だということを、私が知ったのはずっと後のことだ。


      
ジュース













































 電車に乗っていたら、ワヤワヤと子連れが乗ってきた。
 お母さんと、女の子が三人。一塊になってドアのあたりに立った。
 小学二年、一年、一番下は少し離れて四歳くらい。
 短いワンピース、Tシャツに短パン、三人ともこんがり日焼けしている。
 大人ばかりだった車内が、ちょっと和んだ。

 幾駅か過ぎた頃、チビさんがグズグズ言いだした。
 のどが渇いたと言っているらしい。車内は蒸していた。
 上の子たちが“あ〜とで!”とか“…でしょ?”とか、宥めている。
 チビさんは根気良く粘る。退屈していた大人たちの耳が、そっちへ向く感じになった。

 お母さんが何か言ったらしい。
 上の子が、お母さんのバッグに手を突っ込む。
 爪先立つようにして肩まで入れて、底から何か取り出した。
 小さな紙パックのジュースだ。
 
 “しょうがないわねぇ…”
 上の子は偉そうに言う。子どもらしい良くとおる声だ。
 “ほら、ジュース。三つだけよ!”

 “ミッツ?”
 車内の耳が一斉に、子ども達の方を向いて立った。
 ジュースの箱は一個だ。小さなストローを挿しこんで飲むのに、三つ…?
 “ミッツだけ”飲むとは、どういうことだろう?
 
 大人たちの密かな注目の集まる中、上の子は箱の穴にストローを挿すと、
 “ほら!”と下の子に差し出した。チビさんはしっかりとストローを咥える。
 小さな肩が一瞬上がってクッと下がる。一心に飲みはじめたとたん、
 上二人の良く通る声で、カウントが始まった。

   “ひとーつ、ふたーつ、みっつ、ハイ…ストーップ!”

 ふわぁ〜っと車内の空気が、ほどけたようになった。
 思いがけないアイデァへの感嘆と、くったくの無い子どもたちへの好感が、
 ほどけた空気の中に、けむりのように漂った。
 
 チビさんは納得したらしい。
 上の子は取り上げたジュースの箱を、大切に持った。
 お母さんは黙然と立っている。
 目立たない人だった。

    
紫蘇(しそ)


 
庭の青紫蘇の葉に虫がついて、一とき、レースのようになった。
 洗うと良いと、何かで読んだ気がして、毎日シャワーしてやっている。

 夏も盛りになって、ずいぶん大きくなった紫蘇の根元から、
 葉の裏へホースの先を向けて、水を回しかけながら十ほど数えると、
 5ミリくらいの黄緑色のバッタの子が、プチプチと跳び出す。

 紫蘇は毎日、次々と新しい葉を広げる。
 バッタは、時々パッと増える。
 暑い日、涼しい日、晴れの日も雨の日もあって、
 シャワーは効いているような、効いていないような、
 レース状の葉は、増えたり減ったりしている。

 十数える時間は、その日によって長くなったり短くなったりする。
 「こんなことしたって…」と思う日は、「123456…」と数え方が速くなる。
 「効いてるみたい…」と思うと、少し落着いてくる。

 ゆっくり「1・2・3・4」と数えられるのは、「ま、いいじゃない」と思える日だ。
 効いているのか居ないのか問い詰めるような気持が、後ろに退いて、
 自分の中に自分が、ゆったりと席を占めると、心がポワンを温かくなる。

 希望というのは、こういう感じを言うのだろうか。
 努力を重ねて、それが叶えられるという約束は一つもないけれど、
 「こうしたい」自分への温かな気持が、私を落着かせる。
 ほのかな望みが、おだやかに私に抱かれている。


      
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