「堀江はるよのエッセイ」 〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜 |
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六の巻 ひらがなの詩 プールの隅 芝生 |
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ひらがなの詩 | ||||
“子どもは五年生くらいになると、しっかりした個性が出来てくる。 でもそれは、外からは見えない。中に出来るんだ。” だから、大人は気がつかない。 気がつかないで、押さえつけてしまうと、 高校生になって爆発する。 ぼくは学校で目の検診をするでしょう? 毎年見てるから分かるんだ。 ぼくには子どもが居ないけどね。 いないから…分かるんだ。” 幼馴染みのタクちゃんは眼科医だ。年に一度、視力検診に学校に出向く。 “高校が三つあるのね。 一つは、ちゃんとしてる。 あとの二つは、滅茶苦茶なの。 ぼくは毎年、その三つの高校に行ってるの。 体育館で検診するんだけど、 滅茶苦茶の二つはね、並んだりしない。 ぼくが真ん中に座ってると、体育館の隅に、ぐるりと陣取って、 「ン、おまえ…」「ン、おまえ…」って、顎しゃくる奴が居て、 それで一人ずつ出てきて、全員が受ける。 ちゃんとしてる方は、ビシッと並ぶ。 先生たちは、そのほうがいいと思ってるんだよね。 全員並んで待ってるんだけど、一人が足が疲れちゃって、 反対側にある椅子の所に行って、座ったの。 別に、何っていうんじゃないけど、 ぼくの視界を横切ったから…ふっと見るじゃない。 ぼくが見て、彼と目が合った、その瞬間、 ピッと、彼、列に戻ったの。” “怖わぁ…”と私が言う。 “ね、そう思うでしょ? でも先生たちは、ビシッと並ぶ学校が良いと思ってる。 滅茶苦茶なほうの学校には、素晴らしい子が沢山いるのに…” * * * 仲間には、芸術や創造的な仕事についた者が多い。 ぼくは、みんなと違って体育会系だったから、水泳ばかりしていたから、 感性はダメだ…と、タクちゃんは、はにかんで言う。 そういえば、真っ黒で無口な子どもだった。 視力に自信のない人が、注意深くものを見るように、 タクちゃんは、注意深く、細やかに、感性を使い続けてきたのだろう。 久しぶりに訪ねて、視力の測定かたがた、診察してもらったのだが、 タクちゃんの緑内障の説明は、わかりやすくて、シンプルで、 まるで、ひらがなで書いた「詩」のようだった。 2005年10月14日 |
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プールの隅 | ||||
プールサイドに添って、ユッコがクロールで勢い良く泳いでくる。 コーナーを斜めに突っ切りかけていた私は、衝突を避けようとして泳ぎを止めた。 私が泳げるようになったのは、中学一年。 泳げない生徒だけ、夏休みの学校に呼び出されて、特訓を受けた。 ノドが痛いの耳が痛いのと言って見学にまわらなくて良くなったのは嬉しかったが、 犬掻きで7メートル半、息継ぎが出来ないから、それ以上は距離が伸びない。 25m×15mのプールの、縦横どちらへ泳いでも、途中で沈む。 考えて、コーナーを斜めに泳ぐことにした。 スタート台の下から距離を見計らって、長いほうのプールサイドへ泳ぎ出す。 7メートル半の終わりに、伸ばした手がコンクリートの縁に届く。 コースを泳ぎきったような錯覚が持てるのが嬉しくて、 何度も何度も繰り返しているうちに、事件が起きた。 衝突を避けようとしたのはを良いけれど、途中で止まったのはマズかった。 私に出来るのは、犬掻きで7メートル半を真っすぐ進むことだけだ。 Uターンはもちろん、一旦止まって続きを泳ぐなんてことは出来ない。 そもそも、立ち泳ぎが出来ないのだ。 私の鼻先をユッコが突っ切った。サッと水から上がって、 プールの縁に腰をかけて、足をブラブラさせている。 泳ぎを止めた私は、そのまま沈みだした。 あの足を、つかめたら…! “なにしてんの〜” ニコニコと私を見下ろして、ユッコが言う。 何が起こっているのか、ユッコは全然わかってない。 助けて…と言いたいけれど、声が出ない… * * * お蔭様で、いまここに生きているけれど、 私は何かにつけて、あのプールの隅を思い出す。 人は、荒れ狂う海で溺れるとは限らない。 明るく日の射すプールの隅っこで、 あと数センチが届かなくて、溺れてゆく人が、 私の目の前にも今、居るのではないか。 それを、いつも考えてしまう。 2005年11月5日 |
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芝生 | ||||
夏の初めに、トマトを植えた。 プチトマトとかで実は小さいが、丈はいくらでも伸びる。 地面から1mくらいのところで芯を止めたら、左右にタコのように枝を伸ばして、 枝垂れトマトというか、並んだ二本が絡み合ってジャングルのようになった。 あちこちに、巨峰より少し小さいくらいの実が、房のように生って、 硬めの皮をプチッと噛むと、酸味の勝った野生っぽい味がする。 大きなトマトも食べたいけれど、「うちのトマト」に義理立てして、 ひと夏ほとんど、トマトは買わずに済ませてしまった。 “これはいいね。来年も…”ということになったが、トマトは連作を嫌う。 今年のトマトの跡地の隣りに、60cm×90cmくらいの穴を深めに掘って、 中に枯れ草や油粕など入れて土を被せて、来年のトマト畑を準備した。 母の形見の芝生は、今や穴だらけだ。 * * * 童話を書いている。ただいま二作目。 小学校低学年から読めるが、大人が読んでも良い。 ギターのための新しい曲も書いていて、この題が「五つの童話」 こちらは、子どもが聞いても、それなりに面白いとは思うが、大人のためのものだ。 童話という言葉から浮かぶイメージを、抽象画のように描いている。 ギターを弾けない私は、楽器に自然な書き方を探しながら、 ここ数年の間、一人のギタリストとかかわりを持ってきた。 「五つの童話」は、いずれ彼に弾いてもらう。 ホームページのために文章を書くのは、 買物をして食事を作るように、日常の仕事になった。 書くために考え、考えるために書く。 童話は、その延長線上で書いたが、公にするのは違う場で…と考えている。 二年ほど前から、リコーダーを吹くことを習っていて、これは発展途上。 進歩は、私には分かるが、他の人からは分からないだろう。 今はまだ、土の中で根を伸ばしている…といったところ。 * * * 形見の芝生に穴をあけて畑にするについては、ずいぶん考えた。 毎日草取りもしてみたが、年を経て芝そのものが弱っていることもあって、 雑草のほうが優勢で、片手間の作業では、勝ち目が無かった。 芝生の間からは、美しい野草が顔を出す。 ミニチュアのタンポポのような、ジシバリ、 縞のある青い花びらが白い芯を囲む、オオイヌノフグリ、 ごま粒ほどのピンクの花を、まぶすようにつけて、捻れた茎を立てる、ネジマキソウ 小さな黄色のボンボンと、毛ばのある白っぽい葉が、布細工のような、ハハコグサ、 スミレ、タンポポ、白いヒメジョオンと、ピンクのハルジョオン。 タフな彼らは芝生の大敵だ。 芝生を守ろうとすれば、引っこ抜かなければならないが、 どの花も私にとっては幼馴染み、裏切るようで、心に疼くものがある。 やっとこの夏、もういいよね…と、芝生へのこだわりを捨てた。 穴だらけの冬枯れの庭を見ながら、この文章を書いている。 庭も私も、今は混沌として中途半端だ。 中途半端が良いのかもしれない…とも思う。 定まらないところに可能性がある。 先行きは、安心とは言えないが、楽しみではある。 2005年12月13日 |
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堀江はるよ公式サイト・エッセイで描く作曲家の世界 <カタツムリの独り言>
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