クリスマスが近づくと、いろんなことを思い出す。
自分の小さかったころのこと、娘の小さかったころのこと。
どちらもクリスマスには「手作り」が付きものだった。
昭和二十年代、私の家のクリスマスは、芝居とセットだった。
白いシーツを体に巻いて金紙の星をつけた魔法使いが杖を一振りすると、
蔭から飛び出した何者かが電灯のスイッチをひねって、舞台は暗転。
小さなシンデレラは大急ぎで上に着た「ボロ」を脱いで、電灯が点くのを
待って叫ぶ。”まぁ、すてきなドレス…おばぁさん、ありがとう!”
レコードに針が置かれるとメヌエットが流れて、次の場面はお城の舞踏会。
子どもたちは芝居を演じた後で、すき焼き丼と寒天のゼリーを食べた。
父の買って帰るクリスマスケーキは、小さな銀色の玉とバタークリームで
デコレーションされていて、ピンポン玉ほどのピンクのバラは、食べると
おなかがドスンと重くなった。
娘のクリスマスには、もう材料も出回っていたので、ケーキは私が作った。
あれは娘が五才の時かしら、スポンジケーキを大きめに焼いて生クリームを
たっぷり使ってデコレーションしたら、かなりの大きさになった。
朝のうちに完成したのを、テーブルに置いて、娘に見せて一喜びさせた後で、
さて、夜まで冷蔵庫に入れておこうと思ったら、いろいろ一杯で場所が無い。
仕方なく同じくらいの大きさのキャベツを出して、代わりにケーキを入れた。
外へ遊びに行った娘が、帰ってきて聞く。
”お母さん、ケーキは?”
目がテーブルの上を探している。
テーブルにはキャベツが載っている。
ふと閃いて、言ってみた。
”○ちゃん、なにかワルイことしたんじゃない?
ケーキがキャベツになっちゃったよ”
娘は一瞬考えたが心当たりがない。
不審にたえない顔でキャベツを見ている。
私は慰めた。”いい子にしてたら、きっとケーキに戻るよ”
昼食の支度やらディナーの準備やらの都合で、キャベツは夕方まで冷蔵庫を
出たり入ったりして、その都度、ケーキは現れたり消えたりした。
娘は時々テーブルの上をチラチラと見ながら、妙におとなしく午後を過ごし、
私は、どうしたんだろうねぇと一緒に不審がりながら、娘に「その瞬間」を
見られないように細心の注意を払い、頃合いを見計らってテーブルに全部の
ご馳走を並べて、”良かったねぇ… いい子だったからケーキに戻ったよ!”と
ハッピーエンドで締めた。
* * *
今年は、どんなクリスマスにしようかな。
クリスチャンでない私にとって、クリスマスは想い出の季節。
想い出を辿りながら、今年のケーキは、たぶん半分だけ手作り。
2015.12.16