「堀江はるよのエッセイ」

〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜


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十五の巻

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ウサギが三匹






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年の瀬に


  二年前に一才ユズを植えた。
  それが始まりで、徐々に芝生を剥がして畑に作り変えている。
  畝を作って冬菜と二十日ダイコンの種をまき、春の地植えに備えてプランターで
  エンドウの苗を育て、買ってきたキンカンを鉢ごと地面に埋けて待機させた。

  庭の一角にあった萩は、区に寄付樹木として持っていってもらった。
  夏から秋にかけて二メートル四方にもなっていたのが無くなって、すっきりと
  土が広がった。日の当る場所なので、夏には軒へ寄せてゴーヤを育てる。


  年の初めには渾沌としていた心の中が、この一年で、ずいぶん整理された。
  内面的なことは、庭仕事や家の片付けにも反映されて、今までと打って変わって、
  私はここのところ、テキパキと判断して、クルクルと働いている。


  何をするにしても、大切なのは自信かなぁと思う。
  それも大それた自信ではなく、ほのかに自分を信じる気持、
  「そうしたいと思う自分を大切に思う気持」とでも言おうか。

  たとえばクリスマスのプレゼント一つをとっても、
  「あの人に贈りたいと思う自分を大切に思う気持」があって初めて、
  生きいきとした心もちで品物を選べるのではないかしら。


  私は今まで、おずおずとした気持で自分を省みることが多かった。
  これで良かったのだろうか、これで良いのだろうかと、繰り返し考えるのは、
  謙虚な気持からではなく、自分を信じることへのためらいからだった。
  そんなことをしていると人生がヒンヤリしてくる。

  思うに、暖かに自分を信じるのは、自分への義務なのではないか。
  最終的に人は「自分と二人ぼっち」なので、たとえ周りが自分を信じてくれても、
  自分が自分を信じていなかったら、自分の中で一人ぼっちになってしまう。
  それでは生きいきとした判断も、生きいきとした行動も有り得ない。


  先日、テレビで久しぶりにマラソンの有森裕子を見た。
  “自分で自分をほめたい”と言った彼女が、私は好きだ。
  この言葉は高石ともやのフォークソングからの引用だそう。
  元気で活動していて、結婚もうまくいっているらしい。
  蔭ながら、おめでとうを言った。


  ほのかに、暖かに、しっかりと根づよく、自分を信じて生きてゆきたい。


ウサギが三匹


  朝起きぬけに体操をすることは、前に書いた。
  それに加えて、1年ほど前から英語の勉強もしている。
  …というか、つまり体操をしながら英語の勉強をしている。

  目を覚ます。
  廊下のむこうでパン焼き器がピーと鳴る。
  カーディガンを引っかけて、台所へ行ってパンを取り出す。

  戻りぎわに部屋のエアコンのスイッチを入れて、薄く真綿の入った中国製の
  介い巻きにくるまって坐る。そして目の前の棚に手をのばす。
  少し前は「Get The Real...英語参考書」を読んでいたが、いまはその著者の
  西巻直樹さんの教えるマスターコースの副読本と、自作のスピーチがテキストだ。


  まず、うずくまって丸くなる。
  張子の虎のような具合に首を揺すりながら、スピーチを暗誦する。
  スローモーションビデオの要領で、ゆっくり声に出して発音を確かめながら、
  忘れているところは、書いたものを見て憶えなおす。自分で書いたもなので、
  内容が分かっているから、あきらめずに繰り返すうちには頭に定着する。発音も
  張子の虎の運動も、首の力を抜くとうまくゆくので、一緒にやると具合が良い。

  次に体を起こす。
  脚をのばして前方にテキストを置く。上体を反らし気味にして、チラッと目を
  走らせて憶えては、一行を2〜3回ずつ、これも発音に注意しながら読み進む。
  ふつうに使えそうな文章に、やっぱりそうかと思うような解説がついていて、
  西巻さんの文法は、起きぬけの頭にも優しい。


  実は朝だけではなく昼も夜も、ここのところ暇さえあれば英語をつぶやいている。
  幼いころに、母から英語の歌や朝夕の挨拶を教わった。主の祈りも文語体の英語で
  習った。“アワーファーザ、フアーティンヘブン、ハロードゥビーザイネイム…”
  口を全然ちがうふうに使う英語は、面白くて楽しかった。

  小学校で「日本語を使わない英語の授業」を受けて、足のまわりが“ヒアー”、
  絵の中の、二本の斜め線の先に円が乗った木の切り株みたいなのが“ゼアー”と
  思い込んで訳がわからなくなったのが、最初のつまずきだった。

  中学に入って“I am a girl.”“Are you a boy?”なんて会話を学ぶことに
  疑問を抱き、真ともに考えようとすると分からなくなる「関係代名詞」に出会って
  前途に絶望して英語を降りてしまった。


  今、幼い日の「楽しかった英語」が、よみがえって芽をのばし始めている。
  人生あきらめたものじゃない。死ぬまで分からない。
  雅楽と洋楽と英語。追いかけているウサギが三匹になった。



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