「堀江はるよのエッセイ」

〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜


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十四の巻

ふたたび「鶴」

Y子先生

雅楽








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ふたたび「鶴」


  先ごろ初演した「鶴〜つるの民話をもとに」の書き換えを終えた。
  のびのびと書き進めたら、8頁であったものが12頁になった。


  この曲は、去年の7月から10月にかけて作曲した。
  いろいろなことがある中で、それでも背筋を伸ばして書いたつもりでいたが、
  舞台にかけてみると、どこか臆した物言いになっている。曲が縮かんでいた。
  それと、邦楽と洋楽の書き方の違いについて、舞台での演奏を聴いて初めて、
  「あ、こういうことか」と、肌で捉えられたことがあった。

  新しい形の「鶴」が、もう頭の中に鳴っているような気がしたので、
  会を終えてすぐに作業にかかって、いつものようにバラの五線紙に書いては
  消しを繰り返すのではなく、一冊のノートに一気に書きつけていった。

   *     *     *

  邦楽と洋楽の違いは、洋服と和服の違いに似ている。
  洋服は、指定どおりに身につけてゆけば、一応は誰でもそれらしい形になる。
  和服は、心得の無い人が紐を締め帯を結んでも、それだけではサマにならない。
  平坦な布は、それを纏う人の技によって、初めて見るに値する形になる。


  洋楽の楽譜は、だから指定が多い。ボタンやベルトが着付けを助けるように、
  音や休みの長さ、強弱、タイミング、テンポの変化が細やかに指定されていて、
  演奏者はその指定を手がかりに、作曲者の意図を読み解いてゆく。

  邦楽の楽譜には僅かな指定しか無い。演奏者はまるで謎解きをするように楽譜から
  演奏を作り出す。そういう面は洋楽にもあるが、任される度合が比較にならない。


  洋楽は音が多い。言葉数が多いと言おうか。綿密に書き込まれた文章は、誰が
  朗読しても一応の意味は通るように、洋楽はデジタルに楽譜を辿るだけでも、
  最低限の音楽は表現される。

  邦楽は音が少ない。少ない音と間(マ)に表現が託される。
  すぐれた邦楽奏者は、洋楽からは想像もつかないようなシンプルな楽譜から、
  その作品の本来の姿を立ち上げる。


  実は、こういうことが、分かっていなかったわけではない。
  分かってはいたが、どのくらいシンプルにして良いのかの程合いを掴みかねて、
  後で思えば、着物にホックやベルト通しを付けるようなことをしていた。

  例えて言えば、都会に住んで、窓を閉めてドアに鍵をかけて寝ていた人間が、
  突然、田んぼの真ん中の一軒家に引越して、さあ開け放って寝て大丈夫ですよ
  …と言われても、そうすぐには大胆になれないようなものかしら。

  洋楽の常識からは考えられないような、単純なフレーズや和音が、
  工夫をサボッているんじゃないかと思えるほど遠慮なく繰り返される、
  「無責任きわまりない、あなたまかせ」に見えるスカスカの譜面こそが、
  邦楽の場合、奏者の技と感性を最大限に引き出し、そのことによって
  作曲者の意図する音楽が、のびやかに描き出されるのだということを、
  私は自作を舞台にかけてみて、初めて納得した。

   *     *     *

  背筋は、今は伸びている。

  しかたがないよね…人間だもの。
  たわんだり、起きあがったりするときがあって良い。


  これから試奏を重ねて、11月30日「和の響き〜古から今へ・第二回」で、
  改めて新しい「鶴」を舞台にかける。


  きいていただけたら、うれしいです。



 
Y子先生


  厚紙に線をひいたり黒丸を描いたりして、今、音符カードを作っている。
  お団子の串みたいな「ド」の横棒が、くっきり見えるようにと両端を角張らせて
  塗り重ねていたら、ふいに心が幼稚園の頃にトリップした。


  がっしりした木の大テーブルの上に、五線を引いた紙がある。
  紙の上には数個の黒の碁石と、細長くカットされた黒い紙片が置かれていて、
  私はその、ざる蕎麦のトッピングの海苔のような紙片と碁石とで、五線の上に
  「ド」を作ろうとしている。

  かたわらに立って教えているのは園長のY子先生だが、この先生について
  私はプロフィルでは触れていない。幼稚園の課外授業のような形で最初の
  ピアノの手ほどきを受けたが、ご本人はどうやら独学だったらしい。
  “しっかりと指を伸ばして弾きなさい”と指導されて、後で直すのに
  数年間苦労した。ツッパッた指でピアノは弾けない。


  Y子先生は、小柄で、すばらしくきれいだった。
  太陽神の図柄のように、パーマをあてた黒髪に縁取られたピンク色の丸顔に、
  パッチリした目、華奢に通った鼻筋と薄い唇、小さな足にヒールを履いていた。
  戦後間もなくだったのに、ベージュのフレアスカートにフリルのついたブラウス
  などエレガントに着こなして、彼女の居るところだけ空気が違うみたいだった。


  最初はお兄さんが園長だった。大柄で浅黒い、インド人のような人だったが
  私が入園して間もなく、Y子先生と意見が対立したとかで、見えなくなった。
  恒例のクリスマスのお芝居が、お兄さん先生と一緒に消えた。
  芝居関係の人だったのかもしれない。そんな雰囲気があった。

  代わって、Y子先生が園長になった。
  音楽の時間がふえて、生徒の親御さんのコネで放送局に出演したりした。
  歌ったのはY子先生の作曲した歌で、ガリ版刷りの曲集になっていた。
  その中の一つは今でも憶えている。


  暫くすると、お絵かきの時間が多くなった。
  背広姿の痩身にベレーをかぶった、大人しそうな絵描きさんが先生で、
  間もなくY子先生から、“今日からF先生が園長先生です”と紹介があった。
  優しい先生で、私たちは嬉々として絵を描いた。


  三年保育の最後の年に、幼稚園はカトリック系になった。
  デップリ太った背の低い外国人の神父さんが幼稚園に住むようになって、
  “今日から神父さまが園長先生です”と、Y子先生から紹介があった。
  イースターには華やかに飾られた祭壇に、食紅で赤く染めた茹で卵が盛られて、
  白い裾長のドレスを着た子どもたちに交じって、Y子先生は薄いベールを被って
  感激に頬を染めて十字を切った。


  物のない頃だったのに、幼稚園の徽章は、臙脂色の七宝だった。
  ハート型で、内側を縁取るように星が並んでいる。中央の十字架は、
  カトリック系になってから加えられたものだったかもしれない。


  卒園が近づいて、父兄が進学させる小学校を考え始める頃、Y子先生から
  数人の子どもに声が掛かった。少し離れた所にあるカトリック系の小学校へ
  “あなたたちが行くかもしれないから、一度見に行きましょう”という。
  よそ行きのスーツに着替えたY子先生について、私たちは畏まって出かけた。

  着いた所は学校の門ではなく、横手の、コンクリートで覆われた崖の上だった。
  “坐んなさい”というのでコンクリートの縁に足をぶらさげて坐ると、
  目の下に件の小学校の地下教室の窓が見え、並んでいる机や椅子が見えた。

  Y子先生は、持ってきた丸い缶の蓋を開けて“食べなさい…”とすすめる。
  バターピーナッツをポリポリ食べながら、私たちは学校を見下ろした。
  そして、しばらく居て帰ってきた。


  私が卒園して十年以上たって、幼稚園は閉園した。
  Y子先生は修道院を宿に、世界を巡る旅に出た…と噂に聞いた。

  幼稚園は今、公園になっている。



雅楽


  今年に入って四つの曲を完成させた。

  ギター伴奏の歌「ともだちって」
  ヴァイオリンとピアノの「ポニーテイル」
  笛と楽琵琶の「鶴〜つるの民話をもとに」
  楽琵琶の独奏曲「春風」

  「鶴」のことは、同じこのページに書いた。
  「春風」とともに11月30日の演奏会で聞いていただく。


  そして今、私は新しい勉強を始めている。

  増本喜久子著「雅楽〜伝統音楽への新しいアプローチ」(音楽の友社)と、
  連(むらじ)孝樹・演奏、唱歌(しょうが)、解説による独習用のCD
  「龍笛しましょ!」(企画制作・夢有庵(むうあん)が教材。

  幾種類もある琵琶の中から私が選んで作曲するようになった楽琵琶という楽器は、
  本来は雅楽で使われる。“ここまで来たら雅楽について勉強してみませんか”と
  演奏者の塩高和之さんに誘われた。このお方は私を木に登らせるのが巧い…いや、
  良いタイミングで貴重なアドヴァイスをして下さる。
  自分の想いを書くことに少し疲れていた私は、ふっとその気になった。

  雅楽は、生々しい想いを描くことをしない。
  聞こえてくるのは自然の音。


  私の音楽は、幼い日の世界に帰ってゆこうとしているのかもしれない。
  これから半年ほど、書くことを休んで学んでみようと思う。




  ずいぶん長い間、立てかけたままになっていなギターを、ふと取り上げて、
  弦の調子を整えてポロンと鳴らしてみたら、ふうっと何かが心に広がった。

  “あの曲は、今なら違うふうに書けるなぁ”と、十数年前に作ったギターの曲を
  新しく書きかえることを思いついたのは次の日。優しいイメージの小曲を、当時は
  まだ楽器への理解が不十分で、響きにくく、弾くのに難しく書いてしまった。

  特徴のあるモチーフを生かして、こうして…こうして…と、有りあせの五線紙に
  メモしながら配分を考えていると、何か似合う形式がありそうな気がしてきた。


  “レントラーかも…”
  “あ、やっぱり。でもそのままじゃなくて何かちょっとプラスしたいなぁ”
  “踊りはここから始まるとして、ここまでは前奏かな、うん、それがいい!”
  “この8小節は、確信犯で、そのまま繰り返しちゃおう!”
  “このへんで低い音を使いたいよね、ここかな?”
  “ハンパの2小節、どうしても欲しいなぁ”
  “ここから逆回しで戻ったらどうだろう…前奏が後奏になるね”
  “最後は8小節じゃなくて16小節、だんだんゆっくりして終わろう”

  パソコンの「五線紙」のファイルから「ギター用」を出してプリントアウト。
  走り書きで書いたのを、ざっと清書して見直して手を入れて、も一度清書して、
  更に最後に万年筆で清書してコピーをとる。完成まで24時間と少し。
  美味しいものを一息に食べてしまったような気分で、フゥと溜息をついた。


  半年は書くことを休んで雅楽の勉強をしよう…と考えたのは本気だった。
  勉強する気持に変わりはないけれど、書くことを休んで…は無理らしい。

  二匹の兎を、さて何んとしょう。



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