「堀江はるよのエッセイ」 〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜 |
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八の巻 笛 トシ 手づくり |
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笛 | |||
コーヒーを淹れた残りかすは薔薇に良いと、去年、友人が教えてくれた。 庭に薔薇の木がある。オールド・ローズというのだろうか、 薄紙を丸めて作ったような八重の、いわゆるローズ色の香りの良い花が、 アーチ状の支えに寄りかかるように絡み合いながら伸びた枝に咲く。 ついでに、お茶殻も一緒にして、ときどき薔薇の下に埋めておいたら、 今年は、びっくりするほど沢山、枝がたわむほどに花がついた。 コーヒーの色素のせいか、今年の花は、やや和風な、おとなしい牡丹色だ。 花びらを日本酒に漬けて化粧水を作る。 三ヶ月くらいまでは生臭くて、とても使えない。 半年くらいたつと、薔薇の香りがするようになる。 人体実験中なので他所様にはお勧めできない。 * * * 数年前、“ぜったい面白いから御覧なさい”と勧められて、 サッカーのワールドカップ決勝戦、ブラジル対ドイツをテレビで見た。 ルールは知らないけれど、何となく感じ取れるものがある。 前半、ブラジルの動きはバラバラで、ゆるんだような感じだった。 ドイツの選手は、鋼鉄のロープで編み上げられたように連動して作戦を展開する。 解説者が、ブラジルの選手は未だ調子が出ていない…彼らは個人プレイは得意だが、 チームワークは不得意だ。こういう時、それが弱点になる…と言った。 そうかなぁ?と、私は思った。 私には、違うふうに見えた。 例えて言えば、グランドに大きな手のひらがあって、ブラジルの選手はその指だ。 手のひらをドイツの選手が走る。指は、その動きに添って、開いたり閉じたりする。 ブラジルはドイツの「リズム」を、肌で感じ取ろうとしているのではないか。 リズムが分かってしまったら、後は手馴れた楽器を鳴らすようなもの。 ブラジルのペースで試合は終るのではないかと思った。 素人考えが当たったかどうかはともかく、試合はブラジルが勝った。 彼らのフワンとした、ゆるんだようなチームワークの感触が、私の心に残った。 * * * 横笛の曲を書いている。 一度書き上げたが、長くしたくなった。 あと半年くらいかかりそうだ。 使える音は、大雑把に言って17個くらい。 その中から12個くらいを使って作曲している。 ドレミで五線紙に書くけれど、鳴らしたい音はドレミではない。 ルビのように記号をつけて、笛が本来持っている音になるように表記する。 笛は出雲大社に伝わる神楽笛。 聴かせて頂いた沢山の笛の中から、耳で選んだ。 いま、コンサートでこれを吹く人は、たぶん一人しかいない。 私は、その一人だけの演奏者のために作曲する。 邦楽ということは意識していない。 この笛が望む「うた」を、「私」から取り出す。 約束事やテクニックには今までも頼らなかったが、今度はそれ以上に、 素肌をさらすような、自分をそのまま、音に移し変えてゆくような感じ。 「私」を見つけないと、笛の「うた」は描けない。 ゆるんだようになって、 私は、私の中をのぞきこむ。 力ずくで努力するのでなくフワンと自分を包んで、 手のひらを開いたり閉じたりするように、あれこれしながら ここのところ私は、毎日ぼんやりと過ごしている。 * * * 摘み溜めた薔薇の花びらは、大きめのガラス瓶に一杯になった。 とるときは、ガクの部分を残して、花びらだけを外す。 そうすると子房がふくらんで、秋には紅い実になる。 2006.5.15 |
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トシ | |||
毎朝、ドクダミを煎じて飲んでいる。 ドクダミという名は「毒矯め」が訛ったので、 薬効が多いところから、ジュウヤク(十薬)という別名があるそう。 生の葉は腫れ物に、煎じたものは高血圧や便秘、むくみに効く。 漢方薬の店などでも売っているが、高くて手が出ない。 庭のを摘んで、自分で作っている。 ほこりをかぶって道端に生えているドクダミは、雑草にしか見えないが、 我が家のは、乳白色の大ぶりな花弁に、ふっくりした黄緑の花芯をつけて、 のびのびと首を伸ばして咲く。ハート型の葉も柔らかい。 花が咲く時期が収穫どきだ。 晴れそうだな…と思う日の朝早くから庭に出る。 少し丈のあるのを選んで根元から抜いて、庭の水道で一本一本よく洗う。 根元を一つかみほどの太さに紐で束ね、軒下の竿に並べて下げる。 カラッと乾くまで、湿度によるが二週間くらい。 干しあがったら鋏で細かくして紙袋に入れ、乾いた場所に吊るして保存する。 飲むのは私だけだが、一年分となると量も多い。けっこうハードな作業だ。 いつまで出来るかなぁ…と、シーズンが来る度にトシを数えていたが、 最近、そんなふうに、トシを通して自分を見るのをやめてみた。 たまたま私は、自分の生年月日を知っているけれど、 そんなものは知らない…という人も世界には居る。 もし私が自分のトシを知らなければ、 トシを通して自分を見ることは無いはずだ。 * * * 大阪梅田の阪急東通の東端に、グラナダというパブがある。 ギターの生演奏が売り物で「関西のギタリスト発祥の地」みたいな店だ。 マスターの唄のファンだった私は、関西に住んでいた頃は毎週のように行った。 どんなときでも、マスターの唄を聞くと生きているのが楽しくなる。 私は、ほとんど呑めない。 その日も、カウンターでコーラを舐めていた。パブだから暗い。 隣りに男性が坐った。サラリーマン風…中年少し前といったところ。 ギターファンだそうで、ギターから音楽へと話は、まぁ適当に盛り上がった。 7時半と9時のライブを聴いて、帰ろうとしたら“僕も帰りますと”言う。 駅はそう遠くない。そこまで御一緒に…と店を出た。 商店街の雑踏を避けて、歩道のある広い扇町通りへ出る。 男性は何だか楽しそうで、足取りがフワフワしている。 もしかして間違えてるかもネ…と思った私は、話の方向を変えた。 “いま私のとこに、サラリーマンのオジサンが、 ピアノを習いに来てるんですよね…” “♪〜……” “オジサンって言っても、私より年下ですけど…四十代かなぁ” “…?…” “私、いま五十五ですから…” “!!!” ちょうど梅田地下街への入口に差し掛かったところで、 足を滑らせた男性は、危うく階段を転げ落ちそうになった。 発言の効果に私は気を好くしたが、これってナンだろう? * * * そんな意地悪をしないで貴方も三十代になって楽しめば良かったのにと、 後で友人に言われた。なかなか素敵な考えだ。二人の人間が幸せになれる。 かの男性が、私の友人くらい興味深い人物だったら…の話だが。 それはともかく、彼もトシに捉われていたが、私も自分のトシに捉われていた。 私は五十代の自分に捉われて、「三十代に見えた自分」を切り捨てた。 ともかくも、そう見えたのは、事実だったのに。 私もまた、四十代は…、六十代だから…と、トシの目盛りで自分を見て来た。 今年は○歳ね…と、誕生日ごとに自分にルビを振って生きてきた。 それで見落としたもの、切り捨てたものは無かったろうか。 目盛りは便利だけれど、ものの見方を大雑把にする。 ルビは、考えることを少なくする。 * * * トシを考えないと、なんとなく頼りない。 薄闇の中を手探りで歩いているような感じだ。 その分、手のひらから伝わってくる感触のようなもの… その日その日の自分の肌ざわりに、私は敏感になりはじめた気がする。 2006.6.15 ★ グラナダって、こんなとこです! |
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手づくり | |||
数年前から、電気パン焼き器を使っている。 お風呂場の腰掛を一まわり大きくしたくらいの箱状のもので、上が開く。 中に四角い容器が収まっていて、材料を入れておくと、こねて、発酵させて、 4時間ほどで山形のパンが焼き上がる。 タイマーも使える。 なるべく寝間から離れた場所にセットする。 夜中に、ウィーン…ウィーン…パタコンパタコンと作業が始まる。 朝になると、笛のような音が焼き上がりを知らせる。 はじめは説明書のとおりに、ゴマなど混ぜて焼いていたが、 粉状の乾いたものなら大丈夫と判って、きな粉、緑茶や紅茶、粉末のオカラ、 青ジソを干して粉にしたものなど、その時の気分であれこれ入れて、 出来不出来コミで、「いろんなパン」を楽しんでいる。 ほんとは一から…こねるところから自分ですると楽しいのだけれど、手にひびく。 筋肉が余り丈夫でないので、ピアノのために、編物と手づくりパンは諦めた。 もう十年あまり毎日、ピアノでバッハを弾いている。 二声と三声のインベンション、平均律クラヴィーア曲集。 数年前までいた部屋は、防音カーテンと断熱材で響きを抑えていた。 どう弾いても、湿った音しかしない。練習の手ごたえが感じられなかった。 引っ越してきた今の部屋は、音の軌跡が手で掴めそうに感じられる。 耳をそばだてて弾いていると、響きが、いろんなことを教えてくれる。 今まで探していた答が次々と見つかって楽しい。 いま、自分の曲を練習している。 自分をピアニストにして、小さな小さなコンサートをしてみたい。 手のひらサイズの「堀江はるよのコンサート」を、一から手づくりしてみたい。 2006.7.15 |
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堀江はるよ公式サイト・エッセイで描く作曲家の世界 <カタツムリの独り言>
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