「堀江はるよのエッセイ」

~日常の哲学・思ったこと考えた事~


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三十一の巻

月夜の森で
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月夜の森で


私の母は、時々食事作りをパスすることがあった。
理由は子どもなりに納得していたが、ごはんが食べられないのは困る。
寝ている母の枕元で水加減など教わりながら、炊事をするようになった。

おいしく作りたいので工夫する。
お蔭で料理が上手になったが、小学生のころからだから淋しかった。
そのせいだろうか、自分が作る人になった今、ごはんの手抜きは心がうずく。
この夏も、猛暑なればこそ食べることは大切…と奮闘した。

我が家の台所はクーラーがきかない。
室温が36度にもなるので、首と腰に保冷剤をくくりつけて頑張ったが、
九月も半ばを過ぎたら、さすがに疲れてきた。


今日こそサボろう、今日こそサボろう…と思ううちに十五夜。
それなりのことがしたくて、あり合わせの材料+少々で五目ずしを作って、
スーパーで、ウサギに似せたどら焼きとお団子のセットを買って、お月見ご膳。
食べはじめて少しして、”あ…”と思った。

前から書きたかった月夜の曲のイメージが浮かびかけている。
まだ音はない…でも…月夜の森を…誰かが何かを探しながら歩いている。

ウサギかもね…と思う。

幼いころに絵本で読んだお話。
お月さまにお供えをしようと相談したサルとキツネとウサギ。サルは木の実を、
キツネは魚をとってくるが、ウサギは一生懸命に探すが何も見つけられない。
悲しんだウサギは言う。「おつきさま わたしを たべてください」

淡い色の、鳥獣戯画に似た絵。
戦後のひと頃、絵本の挿絵の多くが、後に大家となる画家によって描かれたそう。
木の株の上のお供えと、けなげなウサギの姿は、今も目に残っている。
森を歩いているのは、お供えを探すウサギだろうか。

いや、「誰か」は、昔の私かもしれない。
探しているのは、おいしいごはんを作ってくれるお母さん。
ほしいな、ほしいなと思っている内に、自分がなってしまったのかも。


そんなことを、作曲しながら考えた。

イメージが音になりはじめたのが二日後、それを書き留めて、こうでもない
ああでもない…と書いては消しを繰り返して、十月初めの今、清書している。
その間に、森を歩いているのが誰かは考えなくなった。

人は皆、何かを探しながら生きているのではないかしら。
この曲を聴く人が、”あれは私かもしれない …”と思って下さったら嬉しい。


                         2018.10.6



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