「堀江はるよのエッセイ」

〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜


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十の巻

誕生日

バレンタイン・ディ

応援

(真央ちゃん)








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誕生日





































































  一月は私の誕生月だ。

  同じ一月生まれの友人にメールを送った。


      ♪ Happy birthday to you !
          ♪ Happy birthday to you !
 
         Happy birthday dear Mickey-san !
                ♪  Happy birthday to you ! 
 


  ありがとう。でも、あなたのお誕生日を忘れちゃいました。
  ごめんなさい…と、お返事が来た。

  いいんです。いいんです。
  ふっと思いついて何かするのは好きだけれど、
  憶えているのがエチケットみたいになるのは嫌い。
  お誕生日は、軽やかなのが良いです。

   *     *     *

  十歳くらいの時だったかしら、
  身近な人のお誕生日を忘れて、当日の朝に気がついた。
  買って間に合わせたいが、手持ちは数十円で、どうにもならない。
  ありあわせの毛糸で小銭入れを編むことにした。

  緑の毛糸を鈎針で、底を四角く、ぐるりが立つように編んで、
  口の縁飾りにはビーズを編みこんで、巾着のように紐で締める。
  中に綿でも詰めて形を整えれば良かったと、今になって思うけれど、
  十歳の私は早く渡さなければ…と焦って、そのまま差し出した。

  針目の整わない、空っぽの小さな毛糸の小銭入れは、
  受け取った人にはゴミみたいに見えたのかもしれない。
  間際まで忘れていたことと、それを在り合わせで間に合わせて
  取り繕おうとしたことを叱られて、“いらない”と返された。

  心の世界でも、エンターテインメントは難しい。
  誕生日というと今も緑色の毛糸の小銭入れが目に浮かぶ。
  後遺症かしら、気楽が好きだ。

   *     *     *

  たとえば、友人を招く。
  お誕生日だから…なんて言わない。

  お赤飯を炊いて、気楽な御馳走を作って、
  花を飾って、丸いケーキに好きな数のロウソクを立てて、
  ドアを開けて入ってきた友人に言う。

    “お誕生日なの。いらして下さって有難う!”


  そんなふうにしたいなと、もう十年以上も考えているけれど、
  日本の場合、そういうことをすると、来てくれた人たちは、まず、
  それならば、お祝いを持って来るのだったと思うのではないか。
  お返しに自分も招かなければと、気を遣うのではないか…と、
  気が重くなって、実行しないまま来てしまった。

  世の中も、だいぶ気楽になったように見える。
  そろそろ新趣向も理解してもらえるかしら?
  来年あたり、実行に移してみようかしら。

                        2007.1

バレンタイン・ディ






































  浅い紙箱に、ぎっしりとデコボコの敷石のように並んだチョコレートは、
  幼い私にとって、魔法の世界からの贈り物だった。

   “どれにする?”

  茶色の襞々の紙のカップの中の、赤、緑、銀、ブルー、金色の粒、
  焦げ茶やミルクティ色の地に飾り模様のついたの…

   “どれにしよう!”

  あのときの気持は、いまも尾をひいている。チョコレートは好きだ。
  ホワイト・ディがマシュマロなんて、女の子を馬鹿にしている。

   *     *     *

  それにしても、二月のこの騒々しさは何だろう!
  店先に溢れているあの美々しい商品が、私にはチョコレートに見えない。
  ランクがあり、ブランドがあり、美しいもの、しゃれた気の利いたものは高い。

  何かに託して愛を伝える…
  そういう床しさ、いじらしい気持を、いけないとは思わない。
  けれど、店先に並んだ中から、愛を託す品物を選んで、
  はがした値札の代わりにカードを添えて贈るのは、
  考えれば考えるほど、何か違う気がする。

  ほんの戯れだと言うなら、
  愛はそんなふうに、戯れに伝えるものではないだろう。

  そんな硬いことを…と言われそう。
  私なら、真っ直ぐに目を見て、素直に愛を伝えたいと思うのは、
  年甲羅経た今だから、言えることなのかしら。

                          2007.2

応援
(真央ちゃん)


  アイススケートの浅田真央ちゃんが、テレビの向こうからホワンとした笑顔で、
  “オエン、ありぁとざぃます…”と言うのに、はじめは抵抗があった。

  マイクを向けられて答えるときに、半拍おいて言う“そうですね…”と、
  うながされて、テレビを御覧の皆様に言う“応援ありがとうございます”は、
  アイススケートの選手たちから始まったのではないかしら。

  アイススケートは好きだ。番組表をチェックしておいて見る。
  うまくいった演技は、心を含めた体の持つあらゆる能力が結ぶ焦点を見るようで、
  たとえば、襟足がボサボサだったりして、ルックスが余り好みでない選手でも、
  思わず手を叩いて“わぁ…よくやった…すごい…”なんて叫んでしまう。

   *     *     *

  CDを買って下さった方へのお礼状に、
  ふと、「応援ありがとうございます」と書いた。
  書いてから、これは真央ちゃんのセリフだったと気がついた。

  でも、これってピッタリではないだろうか。

  アイススケートと同じく音楽も、そのときそのときのもので、
  新しい作品が、新しいCDが、焦点を結んだものになっているかどうか、
  楽しめるものになっているかどうかは、聴いてみなければ分からない。

  私は、アイススケートを見て、良かったら手を叩く。
  見る前から“がんばってね!”なんて思わない。
  だから、“オエン、ありぁとざぃます…”と言われると、戸惑う。
  応援というのは、「あらかじめの支持」ではないかしら。

   *     *     *

  CDを買って下さった皆さま、ありがとうございます。
  応援、とってもうれしかったです。

                         2007.4


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