関西と関東・橋渡し文化人類学


西

に生まれて西に住んで〜

東京阪神間  5頁目



@銀行に行ったら
A持参金
Bまつのは

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関西と関東の違いを
37年間 関西に暮らした 東京っ子が
独特の角度から検証!



執筆者はこんな人








 @ 
銀行行ったら

“江戸っ子は、宵越しの銭は持たない”というセリフ。
現代では、もうボツになってるかと思ったら、そうでもないらしい。
“ここ半月で数回聞きました”と、我が家に出入りする青年が報告する。
“アホや!”と、関西出身の友人が叫ぶ。青年はムッとした顔をする。
「アホ=阿呆」「や=感嘆詞」で“何という愚か者だ!”と受け取ったのだろうが、
東京弁で言えば“ちょっと考えが足りないネ”くらいの意味…怒ってはいけない。

この江戸っ子のセリフには、“蓄えなんか無くたって、明日には明日の稼ぎがある。
腕さえあれば、食うにゃ困らない”という、手に職を持つ人間の誇りが感じられる。
江戸には職人が多かったのだろうか。
明日も元気で働くぞ!…というポーズはカッコイイけれど、一つ間違えば悲惨なことに
なる。最善のケースだけを考えて、最悪の場合の対策を疎かにするのは、如何なものか。
“どないするつもりやねん?”と言われると返す言葉が無い。

“カシコないデ”と、友人は続ける。
「カシコない=賢く無い」は、頭が良くない…ではなく“思慮分別に欠けていますね”
商人は宵越しの銭がなくては仕入れも出来ない。商いの中心であった関西に、こういう
セリフが出てこなかったのは、カシコかったせいだけではないだろう。


一昔前、お金に関して東京でよく言われた冗談に
“銀行に行ったらあるんだけど!”というのがあった。
友だちに“ちょっと千円貸してくれない?”なんて言われた時に使う。
自分も大して持っていない。千円貸してしまったら、こちらが心もとなくなるなんて時、
“ごめん…銀行に行ったらあるんだけど!”と使う。実は銀行に行っても無い…いや、
口座そのものが、存在しなかったりする。

今でこそ、給与も国民年金も口座振込み、公共料金は自動引き落としが便利というので、
銀行に口座を持っている人は珍しくないが、一昔前、貯金は「財テク」の範疇に属した。
映画「オールウェイズ三丁目の夕日」の時代を思い浮かべて頂きたい。昭和中頃あたり、
東京では貯金通帳は、仏壇の引き出しから大切に取り出され、恐る恐る拝観されるような
シロモノだった。

今なら“株を売ったらあるんだけど!”とでも言おうか。
お金のない同士の、合言葉のようなジョークだったのだが、これが悶着を起こした。

関西に東京からお嫁さんが来た。私のことではない…顛末は近所の噂話で聞いた。
新聞代かなんか、集金の人が来たときに、お嫁さんは手持ちが無かったらしい。
“ごめんなさい…今は無くて…銀行に行ったらあるんだけど…ホホホ”と言ったそう。

“ギンコ行ったらあるんやけど…言うたんですって!” 聞いてきた人は憤慨している。
“ギンコ行ったらあるて…まぁ!” 聞かされた側も憤慨して相槌を打つ。
“そんなん言うたらアカンわ…なぁ…”

たかだか数千円の支払のことで、「銀行にある預金」まで引き合いに出して、“本当は、
お金があるのよ”なんて自慢しなくても良いではないか…というのが、近所の人たちの
感想で、つまり、東京では「無いのが原則」だった銀行の貯金が、その頃すでに関西では
「あって不思議のないもの」だったのが、誤解の元らしい。
ちょっと違うんだけどな…と思いつつも、“貯金なんて無いと思いますよ”と言うわけに
もゆかず、フォローしてあげられなかったのが心残りで、忘れられないでいる。

お金に対する感覚については特に、東と西で違いがあるように私は感じる。けれどよく
面白おかしく言われる悪口めいた解説では、私の感じていることは説明できない。
例えば、関西人がガメツイとかケチだとか言うのは、間違っていると私は思う。東京人が
お金に対して関西人よりもこだわらないかのように言うのも、間違っていると思う。

お金への関わり方について「こだわり」を持っているのが東京人、
お金というものを現実的に「認識している」のが関西人…とでも言おうか。
これについては、もう少し書きたい。


もちろん関西にも東京にも、地球上いずこにも、ガメツイ人、ケチな人は存在する。
ガメツイ宇宙人とかも…たぶん。





 A 


“持参金って知ってる?”と、東京の女性に聞いた。
“ああ、お大名のお姫様が持ってくアレ?…お化粧料って言うのよね”
“いや、昔じゃなくて今なんだけど…”
“今どき持参金なんて無いでしょ。紀宮さまのあれって、退職金でしょ?”

“アホよ!”と関西人の友人が言う。ものを知らないんだなぁ…という意味。
関西に於いて持参金は、もちろん今も有るんだそう。ただし、東京人である彼の奥さんは
“そんなもん無いわ”と持って来なかったという。“それで揉めなかったの?”と聞いて
みたら、“ケッタイやなぁ〜思われたんチャウか?”と他人事のような返事。
不思議に思われはしたが、表立って問題にはならなかったらしい。



「夢しごと」という本を読んでいる。
昭和天皇の皇后様のお洋服のデザイナーだった田中千代さんの半生記だ。

千代さんは東京の大家のお嬢様だ。明治39年の生まれ。父上は大使で後に外務大臣。
プリンス・オブ・ウェールズ来日歓迎の観桜会で社交界デビュー、帝劇でお見合いする。
嫁いだ先は、父方の祖父は子爵、母方の祖父は宮中の御歌所長というお家柄だ。

戦前の一時期、日本には今から想像もできないほど自由主義な時代があったそうで、
千代さんは結婚後、独特の理想教育を目指して西村伊作が建てた文化学院に通う。
この時、学費は実家から出してもらったが、本代など細かな出費に当てるお金が無くて、
千代さんはアルバイトを始める。
豊かな暮らしはさせもらったが、嫁である千代さんの自由になるお金は丸きり無かった。
“結婚すると、ともかく、女の人ってお小遣いがないのよね”と述懐しているところを
みると、持参金は持って行かなかったようだ。

千代さんの結婚は大正13年。当時すでに、東京に持参金の制度は無かったのだろうか。
そういえば私が少女だった昭和20年代、東京の若者の間で「持参金付きのお嫁さん」
という言葉は、言外に「親がお金を付けることで何かをカバーしようとしている娘さん」
という意味を含んでいたような気がする。


“今どきの女の子は働いてるもん…貯金くらい持ってくわよ。でも、それってお婿さんに
上げちゃうわけじゃないから、持参金とは違うわよね”と、女友だちが言う。
どうも、持っていって先方に差し出すのが持参金だと思っているらしいが、それは違う。

例を挙げよう。
今年の大河ドラマ「功名が辻」にも千代さんが出ている。こちらは山内一豊の妻だ。
この千代さんは、密かにだが持参金を持って来ている。父親代わりの伯父さんが持たせて
くれたもので大判が五六枚、大きな薩摩芋のようなのをゴロゴロ入れた箱を、長持の中に
隠している。ご亭主の一豊さんは知らない。

貧乏所帯のやりくりに耐えかねて、ついに持参金に手をつけようかと箱を取り出すが、
“ここという時までは手を付けるな”という伯父さんの言葉を思い出して、やっと思い
留まる…というのが、千代こと仲間友起江さんの先週の見せ場だった。


年頭の番組紹介で見たのだが、後に千代さんは、馬を買うために持参金を差し出した時、
ご亭主の一豊さんに“こんな大金を、夫である自分に隠していたなんて”と非難される。
脚本家の大石静氏は、東京駿河台の旅館の名物女将に育てられた東京人。視聴者への配慮
もあって、そういう場面を書いたのかと思ったが、このセリフ、司馬遼太郎氏の原作にも
ある。尾張人の一豊さんが、そう言って千代さんを責めたという記録があるのだろうか?
だが、関西的観点から見れば、千代さんの行動は非難されるには当たらない。

持参金は、結婚後も妻ものだ。金額が大きければ、利子を自分のお小遣いにする。
緊急時には家の費用にも当てるが、用立てるかどうかの判断は、本来は妻がする。
公式に認められたヘソクリのような感じ…というのが、関西に於ける持参金の在り方だ。

山内家の場合、一豊さんの大らかさから見て、そんな財産の存在を知らせてしまったら、
せっかくの大金も、家来達の福利厚生の為、なし崩しに使われてしまったかもしれない。
夫にも知らせずに、ここぞという時まで資産を守ったのは、千代さんのお手柄だ。
一豊さんが関西人だったら、“へぇ〜、そんなんあったんか”と思わぬ隠し財源の存在を
喜び、“おまえ、よう使わんと持っとったナ”と、財産を取り崩さなかった千代さんを、
褒めこそすれ、非難することは無かっただろう。


お金は役に立つ。何にでも変えられるし、うまくすれば増える。
今は田中千代さんの時代とは違うが、それでも女性は結婚によって経済面で不自由になる
場合が多い。それをカバーするために「妻個人の財産」を確保しようという関西の持参金
の制度は、周りが“あの人、いくら持って来たの?”なんて言いさえしなければ、女性に
とって都合の良い制度なのかもしれない…まぁ持って行くお金があればの話だが。


“愛情はお金じゃ買えないよ。二人で何も無いところから力を合わせてやっていこうね”
と誓うカップルは、もちろん、関西にも東京にも居るだろう。多くの若者は貧乏だ。
しかし、そうして結婚した彼女が、100万とか200万とか入った通帳を、イザという
時の為に密かに隠し持っている確率は、関西に於いて遙かに高いような気がする。




関西に、“軽いもの”という言い方がある。
お菓子や果物のような品物に対して、お金…お札…紙幣を指す。お見舞いなどで、
“何かと思いましたけど、分かりませんので 軽いものにいたしました”とか、
親しい同志だと冗談めかして、“何がいい?”“軽いものがエエわ”などと言う。
間違えても山本山の海苔なんか持って行ってはいけない。





 B 


“もう返って来てしまって…なんか…ねぇ…”
浮かない顔で考えてるみたいに見せて、やんわりと相手を非難している。
女性のこういう言い方は東西に共通だが、これは関西でのこと。

ちょっと美味しいものが手に入ったので、お隣りさんにお裾分けしたら、その日の内に
何やら品物が…まあ高いものではないけれど…返って来た。あまりに対応が素早いので、
突っ返されたように感じたらしい。

“あげたらイカンかったんかしら?”

お裾分けの先は私も知っている。人の良い奥さんは東京の下町育ち。典型的な江戸っ子で
気が早い。旅行のお土産などを朝持っていけば、昼過ぎには半紙に包んだ御菓子が返って
来る。まるで贈り物のUターン…と、関西人の奥さんが思ったのも無理はない。

少し前まで、東京の「お返し」は、関西に比べて相当にスピーディーだった。
結婚祝や御香典のような形式のハッキリしたものは、お返しも時期が決まっているから
取り立てて急がないが、普段の生活の中での、ふとした頂き物には、心ばかりのものを
包んで…昔なら「松の葉」などと上書きして日をあけずにお返しする。嬉しかった気持を
一刻も早く形にして伝えようとするのだと説明したら、友人からイチャモンがついた。

 “なんでやねん…
  そないに急いで返さんでもエエやんか。借りとくのがイヤなんか。
  チマチマしたもん包んで、ハヨ返してしまおうなんて、ヤらしいやんか”

…と、いささか攻撃的。それにしても関西弁はリズミカルだ。
気をつけて聞くと、微妙に韻を踏んでいる。


そんなに急いで返しては、贈った人の心を味わう間が無い…と友人は言う。
頂いたその時は、ただ有り難く感謝して頂戴する。嬉しかった気持は大切に心に仕舞って
おいて、何かの折に…例えば自分の方にお裾分けしたいようなものが出来たときとかに、
“先日は…”と持って行くのだそう。

 “それまでは借りといたらエエのや”

人出入りの激しい東京で、そんなにゆっくり構えるのは無理ではないか。
折を見ているうちに、相手どころか相手の住んでいたアパートまで消えかねない。


関西に“借りとくわナ”という言い方がある。
女性の場合は“お借りしとくわね”になるはずだが、そんなふうに口に出して言うのは、
あまり聞かない。それとなく伝える…関西流テレパシーの世界だ。

小さなことでも大きなことでも良い。食事を御馳走になるとか、人生の大事に力を貸して
もらうとか、相手に世話になって、でもその場では、お財布に持ち合わせが無かったり、
自分にそれだけの力が無くて返せないときに、東京人なら何とか「お印だけでも=心もち
だけでも」伝わるように、その時点で精一杯のものを…たとえ充分でなくとも…返そうと
して四苦八苦するが、関西人は気に病まない。男性なら“借りとくわナ”で、女性なら
“ありがとう〜”で、その場は済ませてしまう。

 “いつ返すの?”
 “返せるようになったらヤ”

次に食事をしたときに“今日は…”と払っても良いし、
自分から機会を作って驕っても良い。まあ数ヶ月の内か。

人生の大事に際してお世話になったのなら、自分の生活が落着いてから
“いつぞやは有難うございました。お蔭様で…”と、それ相応の物を持って御礼に伺う。
十年先でも良いと、友人は言う。

 “返さなかったら?”
 “それはアカンで”
 “ず〜っと貧乏で、とうとう返せなかったら?”
 “そりゃシカタないわナ…借りっぱなしヤ”
 “それで、何か言われないの?”
 “返されヘンもん、シカタないやんか、しゃぁナイで”

「しゃあナイ=仕方がない」で済ませてもらえるなら、返せるのに借りっぱなしにする人
もいるのでは…と思ったが、そんなことをすれば「アカンな=人間として駄目ですね」と
判断されて仲間うちの信用を失うという。
のんびりしているようで、結構シビアな面もあるらしい。


東京では最近、物の遣り取りそのものが少なくなった。シンプルになったと言っても良い
かもしれない。人の多さ、出入りの激しさにコミュニケーションが追いつかなくなったと
いうだけでなく、欧米の生活文化の影響もあるのではないかと、私は思う。


親しい友人をお茶に誘った。
“手ぶらで来てね”と言ったら、庭の花を摘んで来てくれた。
“果物でもと思ったけど、時間がなかったから…”
淡い黄緑のバイモと白い水仙。良い香りが漂っている。

言葉が真っすぐに通じることは、東京の方が多い。
そう感じるのは、言葉の上での約束事が少ないせいだろう。

「考えときまっさ」が「考えておく」ではなく99%の拒否であったり、
「お茶漬けでも…」が単なるお愛想だったりすることは、東京には無い。
「手ぶらで」と言えば、関西なら「大仰なお土産はいりませんよ」の意味だけれど、
東京なら「手ぶらで行って良いのね」と、言葉のとおりに受け取ってもらえる。
あずまえびすの単純さかもしれないけれど、言葉がバリアフリーだ。

“借りとくわナ”と相手に言わせる前に、東京人なら、こう言うかもしれない。

 “いいじゃないの、お金ないんでしょ? ムリすることないわよ
  気になるんだったら、こんどお金が入ったときにオゴッてよ”

ふくみが無いから色気も無いが、東京育ちの私には、これがラクだ。


関西で37年暮らしたが、言葉の上の約束事は、ほとんど頭に残らなかった。
理解はしたが身に付かなかった。文化的拒絶反応かもしれない。




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