関西と関東・橋渡し文化人類学


西

に生まれて西に住んで〜

東京阪神間 11頁目


あれこれ

日傘とライフ…そして(最終回)
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関西と関東の違いを
37年間 関西に暮らした 東京っ子が
独特の角度から検証!

 


執筆者はこんな人









そろそろ、このコーナーも… 
頁の終わりに、お知らせとご挨拶がございます。

  
日傘とライフそして  

大学一年の夏休みに、宝塚歌劇団に伴奏ピアノのアルバイトに行った。
早生まれの私は17才。初めての関西滞在だった。

1961年、新幹線が出来る3年前で、東海道本線を特急「こだま」で6時間半。
大阪駅には幼馴染の母上「チーちゃんの小母ちゃん」が待っていてくれた。

小母ちゃんが日傘を持っているのが、私には珍しかった。
その頃の東京では、日傘はかなりお洒落な感じ。40代の普通の奥さんが、着物でも
ドレスでもない普通のブラウスにスカートに、日傘をさして歩くのは余り見なかった。
それが関西では、市場に買い物に行く人まで日傘をさしている。

しばらく居て、なるほど…と思った。東京に比べて陽ざしが強い。
私は、つばの広い帽子を買って、まもなく日傘を買った。
湿度も高い。生まれて初めて、首に汗疹のヨリを作った。以来41年間、
私は関西の夏を、湿らせたハンカチを首に巻いて過ごすことになる。


小母ちゃんの紹介で、とある寮のような所へ泊めて頂いた。夕食は焼き魚だったか。
添えられたお吸い物に、お素麺のコチョンコチョンに短く切れたのが入っていた。
関西では、味噌汁や澄まし汁の実に短く切ったお素麺を使う。それを知らない私は、
とっさに、お蕎麦屋さんの裏の排水溝に流れ出した、食べ残しの麺を連想した。

親元を離れて初めての食事が、ひとの食べ残しで作ったお吸い物?…と思うと、
たいがい食いしん坊の私も、涙がこみあげてきて、どうしても箸がつけられない。
ほとんど何も食べないまま、お盆を下げた。

“どうしました?”と聞かれたが、何と言ったらよいか分からない。
食べ残しのお素麺でお吸い物を作る人と、どんな話をしたら良いのだろう?
コチョンコチョンに短いお素麺のお吸い物は、その後も何度も出て、その度に私は
流し台のお素麺を拾い集めている人の手を想像して、気分が悪くなった。


宿舎の近くに、ライフというスーパーマーケットがあった。
そう遠くないところに高級住宅街があるのと、1号店ということもあったのだろう。
品揃えがモダンで、初めて行った私はキョトキョトしてしまった。

店頭では、ユーハイムのバウムクーヘンを、焼きながら売っている。
濃いピンクの缶に入ったアーモンド・ロカや、香りの強い輸入物のキャンデー類、
赤いセロファンで丸く包装されたチーズなど、今でこそ珍しくないが、昭和三十年代、
平均的サラリーマンの娘の私が見たことも食べたこともない高級食料品が並んでいた。

杉並の我が家の近所にも、スーパーと称するものはあったが、庶民が三度の食事の材料を
買いに行く店で、珍しいところで、せいぜい量り売りの白子干し。この件に関する限り、
どちらが都会か分からなかった。

 *         *        *     

大学4年まで、休みごとにアルバイトに行って、卒業と同時に宝塚歌劇団に就職した。
1970年に結婚して、2002年に夫を伴ってUターンするまで、在学中の春夏を
入れると41年間を、私は関西で過ごしたことになる。

海外に行ったことのない私にとって、関西は唯一の「異国」だ。
カルチャーの異なる土地で、私はお素麺のお吸い物を手始めに、沢山の誤解をした。
そしてたぶん、同じくらい沢山、誤解をされただろう。
でも「異国」は楽しかった。一つ一つの経験が、今も新鮮に思い出される。

私が関西で楽しく過ごせたのは、誤解が断絶につながらなかったからだろう。
誤解は、うまくゆけば理解の「とっかかり」になる。“えっ?”と思ったところから、
カルチャーの違いが認識されて理解が始まる。その面白さを伝えたくて、このコーナーを
企画した。理解しあうのは楽しい。理解しないのは詰まらない。


そんなこんなで、思いつくままに綴ってきたけれど、そろそろ書き尽くした。
とりあえず筆を置いて、また何か思いついたら、再開させて頂こう。


年々の温暖化と、紫外線への考え方の変化で、今は東京でも日傘が珍しくなくなった。
湿度は相変わらずで、新大阪駅へ降り立つと、ネットリした空気が纏わりついてくる。

「お素麺のお吸い物」の誤解がとけたのは、数年後だった。
杉並の我が家の付近も、ずいぶんモダンになって、イタリーレストランなどあるけれど、
食についての関心は、東京よりも関西の方が、今も遥かに高い気がする。



長らくご愛読ありがとうございました。
これをもちまして関西と関東橋渡し文化人類学「東と西」は、一旦休筆させて頂きます。
いつか又お目にかかる日まで、どうぞお元気でお過ごしください。

                



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