「堀江はるよのエッセイ」

〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜


CDと楽譜


二十二の巻

対策


野の花と私

草取り
 






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対策


新しい曲集「マリエンヌの打ち明け話」のご案内の発送を終えた。

印刷は7月に出来ていたのだけれど、完成と家の修理が始まったのとが同時。
社長以下総勢一名の<かたつむり出版>は動きがとれなくなった。
やむなく夏季休業。いろいろあって、9月に入って再開。
やっと一区切りついて、ちょっとホッとしている。

と、ここまで書いて、続きは明日…と眠ったその夜中、歯茎が痛みだした。
かなり深い所で痛んでいる感じ。こりゃ困ったことになったと思いつつも
眠さが勝って、気のせいかもよ…と眠ってしまった。
起きたらもう痛くなかったが、何となく違和感がある。
ちょうど定期健診で歯医者さんに行く日だったので、診ていただいた。


“あのねぇ堀江さん…”

マイ歯医者さんはリボンの騎士に似た女性。
けなげに凛として、剣を持って白馬に乗ったら似合いそう。
優しい声で的確に物を言う。

“何かストレス…歯をクーッと食いしばるような事ってありませんでした?”
“あ、あります、はい、ありました”

“歯ってね…”とリボン先生は、先ほど撮ったレントゲン写真を差し出す。
手のひらサイズの白黒画面に、奥歯とおぼしきものが3本。

“この白いのが歯冠”と説明が始まる。
歯の根は、歯根膜という網状の繊維を持った筋肉のようなもので、骨に繋がって
いるのだそう。健康な歯根膜は適度な弾力性があるけれど、奥歯をキーッと噛み
しめるようなことが続くと、歯根膜は圧力に耐えかねて弾力性を失い、硬く痩せ
たようになってしまう…

“ほら、だからここに隙間が出来てるでしょう?
 …ほら…ここと…ここ”

なるほど、歯の根っこの横に黒いスジが見える。この隙間から炎症が。
対策としては、自分で指でマッサージをして様子を見ることになった。
血行が良くなることで状態が改善されることもあるそう。

“あとは、のんびりすること。
 でも、私が言ったんじゃ説得力ありませんよね”


いや、そんなことはありません。
のーんびりした人に言われたら“苦労が無いからそんなこと言えるのよ”って
反発したくなるかも。でも、リボン先生みたいに一生懸命生きているお方から
言われると、“私のストレスなんて問題じゃないわ、文句を言わずに、出来る
ことがあるなら何でもしよう”って思います。

さて、それで…どうしよう。ストレスはさておき…

“とりあえず、アゴの骨がのんびりすれば良いんでしょ? ”
“アハハ、そうそう”

対部分的対策なら、出来ないことも無い。
当分は、アゴの骨を緩めて、ニッコリして暮らすことにした。

                              2012.9.20




野の花と私


ドクダミが白い蕾をつけはじめた。
これから忙しくなる。1年分のドクダミ茶を作らねばならない。

花が咲きはじめるのを待って、根っこから抜く。
丈の長いのを選んで丁寧に洗って、少しずつ束にして軒下に干す。
カサカサと音がするくらい乾いたら、新聞紙で作った大きな袋で覆いをして、
秋まで家の中に吊るしておく。空気が乾燥してきたら、クッキングカッターや
ハサミで細かくして、紙袋に入れて保存する。

ドクダミの後にはミントが花穂をつける。これはその少し前に抜いて、同じく
洗って束にして干して保存する。天日干しのミントは香りが良い。
もとは美しい芝生だった庭は、この十年で私好みの「原っぱ」になった。
原っぱの真ん中に小さな畑があって、菊菜が芽を出している。


その横に、野球のボールほどの窪みが出来た。これは何だろうと思っていたら、
ある日、雀が砂浴びしているのを発見。畑にするために手で揉んで細かくした
土が、晴天続きで乾いて砂のようになったのを、目ざとく見つけたらしい。
雨が降るとボトボトになるが、晴れると乾く。乾いてサラサラになると、雀が
やってきて、羽をパタパタさせて土を跳ねかして砂浴びをする。羽の間に住み
ついた寄生虫を追い出しているらしい。お天気が続くと穴が深くなる。

      *     *     *     

新しい曲集を書き終えた。

「野の花による小曲集」
全11曲…というよりは、10+1曲。
リコーダーとピアノ、またはチェンバロ。

はじめの10曲は、庭や道の端に咲く野の花のスケッチ。
最後の1曲は、野の花のサポーター、雀たちのための舞曲。


最初の6曲は、去年の春から夏にかけて書いた。
譜面はもう北海道に運ばれていて、そろそろ演奏される頃。
リコーダーは田崎菜津子さん、伴奏は新妻美紀さんのチェンバロ。
私は北海道に行ったことがないので、自分が旅したようで嬉しい。

後半の5曲は、今年、春の花が咲くのを待って書いた。
とくに意識したわけではないけれど、春の花の曲集になった。

      *     *     *     

去年の春、私は少し辛い時期にあった。
今、この曲集を楽しい気持で書き終えて、次の曲を書き始めている。

フレー・フレー わ・た・し!
曲がって真っ直ぐの人生、じっくりと行きます。

      
〜参照:堀江はるよの手紙・4月5月


                        2013.5.18




草取り


庭で畑をすることにして、草取りに励んでいる。
全面的に耕して畝を作って…などというのではなく、何本かある木の間の空きに
小さな畑を幾つか作ろうというのだけれど、今は雑草が生え放題、かなり根性を
入れて「開墾」しなければならない。


昔、海外旅行が今ほどリーズナブルでなかったころ、親しい人に“日本に居る
だけではイメージが枯渇しますよ”と言われたことがある。行きたくても行け
ない状況だったので、そんなことはないと思いながらも暫く気にしていたが、
あれから22年、船の旅も飛行機の旅もしないまま、私は沢山の曲を書いた。

その人は、創作をしない人だったので、そんなふうに考えたのだろう。
何を見なければ、どんな事を経験をしなければ、音楽が作れないということは、
私は、無いと思う。生きているだけで、私たちは様々な刺激にさらされている。
それを風を受けるように受けて、心が反応して、その中の、どうしても言葉に
ならなかったものが、私の場合は音楽になる。

      *     *     *     

これまでの人生を振り返って、もっと沢山のものを見ておけば良かったとは
思わないけれど、一つ一つの出来事を、もっと細やかに丁寧に感じて生きて
来られたら良かったのに…とは思う。でも、それは無理だっただろう。
私は私なりに、その時々を一生懸命に生きてきた。いまさら文句を言っては、
昔の私が可哀想だ。それより、これからの事を考える方が建設的だし楽しい。


そんなこんなで、家の中を、大々的に物を捨てて片づけることにした。
不器用な私が細やかに生きるには、荷物を減らすのが一番ではないか。
管理するものが少なくなれば目も手も届きやすくなるだろう。

東京に住まいを移して12年、ダンボールに入れて「保存」と書いておいた
ものも、今の目で見ると、どうしてこんなものを…と思ったりする。
故人の想いを大切にしたくて残してきた親族の遺品も、自分自身が69年も
生きた今では、お許し願って最小限にさせて頂こう…と思う。
過去よりも、残る自分の未来に意識を集めたい。

今の自分に必要と思って持っていたものも、どっさり捨てた。
さっぱりと片付いて、気持が軽くなって、小さな曲が書けそうになったが、
メモっただけで止めておいた。もっと気持が、ふっくらしてから書こう。

      *     *     *     

草取りの方は、まだ少ししか進んでいない。
暑かったし、うかうかしていると、抜いたはたから、また生えてくる。
この秋は、抜いた草を糠や野菜くずや油粕と一緒に埋め込んで、土を作る。
その間にプランターで苗を育てて、春になったら地植えするつもりだけれど、
どこまで私に出来るかしら。


細やかに丁寧に生きるためのメソッドとして、畑作りを選んだ。
鉢物の世話もろくに出来ない私が、畑の出来る人になれるかしら?
なれたらいいな…なれるかな?…ともかく、今はひたすら草取りをしよう。


                          2013.9.12

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