「堀江はるよのエッセイ」

〜日常の哲学・思ったこと考えた事〜


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 西


十二の巻



サンタさん

ハンカチ

へら台






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かぞえの三つ…だから、今で言うと二才。
  親族ぐるみで疎開していた先で、私は道のわきの溝に落ちた。
  「どぶ」に…と言われたが、この言い方も最近は聞かれないような気がする。

  左足の親指が腫れあがった。
  “バイキンが入ってヒョウソゥになったのよ”と母は言っていた。
  田舎で、戦争中だったから、いいお医者さんが居なかったそう。
  だからねぇ…という親指の爪は六十年後の今も、中国の水墨画の岩山のように
  層を成して、ミニチュアサイズながら峨々たる様相を呈している。

  見た目が水虫のポスターで見る写真に似ているので、心配して何度か検査を受けた。
  白癬菌は検出されなかったが、人目に不快感を与えはしないかと気になって、
  夏など、素足で人前に出るときにはバンドエイドを巻く。

   *     *     *

  朝、体操をする。
  イッチニッというタイプではない。
  30分くらいかけて、そっと筋肉をゆるめる。

  目が覚めたそのまま、首をゆする。
  亀の子のように、うつ伏せに丸くなって、尾底骨から背骨、首、頭までを
  チェーンのように感じながら、S字にたわめて揺する。

  揺れが肩を通って腕から手先まで伝わるようになったら体を起こして、
  寒いときはショールなど肩から掛けて、脚を投げ出して坐る。
  体を縦に二つに分けるように、左右のお尻に交互に重心を移しながら、
  そっと、ゆっくりと、やじろベエのように体全体を揺する。
  ぼんやりと揺すっていると、親指の爪と目が合う。

   *     *     *

  峨々たるミニチュアの岩山は、つま先へ向かって伸びるのではなく、
  層を増して厚くなって靴にあたる。側面は巻き込むように肉へ食い込んで、
  そこが赤く腫れあがる。ひどくなって医者へ行くと、“ヒョウソですね”と
  メスで切開されて、その度に一週間は「片足が不自由な人」状態になった。

  あまりに度々のことなので、根本的解決を図って大きな病院の皮膚科に行ったら、
  “一度全部剥がしましょう”ということになって、このときは包帯が取れるまでに
  三週間くらいかかったかしら。でも結果は同じだった。

  つまりは、厚くなったり巻き込んだりしないうちに処理すれば良いらしい。
  手荒なことをするにしても、化膿しない限り、大病院も近所の医者も傷口対策は
  アクリノール液の湿布だけ。これなら自分で出来ると判断して、それ以降は、
  オキシフルをジャブジャブかけながら、自分で手当てするようになった。

  最近はそれも、たまになった。
  新陳代謝が穏やかになったせいかしら。

  残り九本の爪は健康。十本の指は、それぞれの表情で並んでいる。
  もしかすると足は、顔よりもっと「私らしい顔」をしているのかもしれない。




サンタさん


  “やっぱり○ちゃん、
   王さまのカンムリと、
   花よめさんのベールにするわ”

  幼い娘がサンタさんへのお願いの品目変更を言い出したのは、
  24日の、そろそろ夕方になろうという時間だった。

  昨日までの希望は、縫いぐるみのクマのための「ベアちゃんのお洋服」で、
  これはもう手元の有りあわせの毛糸を、出所が分からないように編み混ぜて
  作ってある。あとはお菓子でも添えて…と安心したのが甘かった。

  ご馳走の準備を中断して手芸店に走る。
  ベールらしく見えそうな、白く透けるゴースの布を1メートル。
  白いサテンのリボンを2メートルに、模造真珠とスパンコールを一袋。
  買い物袋ごと隠しておいて、後は娘が寝入ってから、徹夜で作業をした。
  王さまのカンムリは紙で作って、“あんまり欲張っちゃったからねぇ…
  サンタさんが‘これでガマンしなさい’って言ったのねぇ”と誤魔化した。

   *     *     *

  四年生まで、娘はサンタさんを信じた。
  その年の暮れ、娘と私は上京して実家に居た。
  父が癌で入院中だった。


  24日の朝、娘が何やら箱を用意している。
  中には紙とエンピツ。“サンタさんへのアンケートなの”だそう。
  曰ク…

     サンタさんは何才ですか?
     サンタさんは何どしですか?
     サンタさんの好きなものは何ですか?
     …etc.


  商店街へ私は走った。

  これ以上の嘘はゲームの範囲を越えてしまう。もう「サンタさん」は終わりに
  しなければならない。けれど、それには心をこめた、納得のゆく説明が必要だ。
  あの文章なら…という愛読書の一節が浮かんだが、当の本は家の本棚にあって、
  実家に来ている今、手元に無い。記憶で書くには長すぎる。已む無く本屋を二軒
  回って見つけ出したその本と、白いA3ほどの厚紙を買って戻った。

  つやつやした厚紙に、クレヨンで絵を描く。
  赤と緑のリボン、マジックで縁取りした星、ツリー、家、サンタさん。
  クレヨンで塗った所をティッシュでこすると、脂がとれて色だけが、染めた
  ように残る。やわらかな雰囲気になった画面に、本の一節を写した。


  詳しいことは、また別の機会に書こう。
  サンタクロースについて書かれた、その一節の後に、
  私はメッセージを書き添えた。


   これが サンタさんの お返事です。
   なぞなぞみたいですね?
   アンケートは書きません。
   サンタさんは ○ちゃんを世界で一番すきな人 です。

                1981.12.24  サンタさんより



  翌朝、ふとんの上で手紙を読み終えた娘は、
  私のほうを見て、静かな声で“ありがと〜”と言った。


   *     *     *

  サンタさんは…

  どうだ、このプレゼントは…なんて言わない。
  遠いところから飛んできたんだぞ…なんて言わない。
  こんなことのできるオレは凄いだろう…なんて言わない。

  かといって、「謙譲」や「献身」のような堅苦しい表現も、
  サンタさんとは別世界のものではないかしら。
  愛することが楽しくってたまらないように、
  サンタさんは、雪の空を飛んでくる。
  

  そしてプレゼントが、
  そっと子どもの枕元に置かれる。
  優しいキッスのように。


  そんなふうにさりげなく、楽しく愛することを、
  私たち大人は、この競争社会の中で、
  見失っていはしないだろうか。

                      2007.12


ハンカチ


  家の前を少し出るとバスの通る道がある。

  両側に歩道のある、二車線の立派なバス通りなのだけれど、
  荷車を引いた馬がポクポクと歩いていた昔を知っている私には、
  幼馴染みの紳士たちが未だに「男の子」にしか見えないように、
  ただの「道」に見える。


  道沿いの東と西にスーパーが一軒ずつあり、それぞれ前に信号があって、
  200mほど離れたその二つの信号を渡って道のアッチとコッチを四角く
  往復すると、日常の買物はほとんど済んでしまう。

  途中には肉屋、豆腐屋、八百屋、お惣菜屋などが並んでいる。
  店の前には、ガードレールに寄せてプランターが置かれて、ペゴニアや
  小菊や葵が、曲がったり首をかしげたりしながら育っている。


  便利は良いけれど運動不足になるので、心がけて駅前通りへも足を伸ばす。
  これまた、幼馴染みの少女が厚化粧したオバサンになってしまったような
  商店街を早足でタッタと歩いて、古書屋の店頭の百円本をチェックし、
  DVDを借りて、お菓子など軽いものは買うこともあるけれど、重いものは
  結局、近くまで戻って、いつもの「道」で買う。


  そんな訳で、その日も重たい袋を提げて、いつものルートを歩いていたら、
  小雨の中、ガードレールに見たようなものが掛かっているのが目に留まった。
  プランターの葵のそばの鉄のパイプに、三角に半分に折ったハンカチが、
  ゆるく結び付けられている。クリーム色に木の葉の模様…

  “私のハンカチじゃないの!”

  昨日、オーバーのポケットに入れて出かけた憶えはある。
  失くしたのには気づいていなかった。
  拾った誰かが、目に付くようにパイプに結んでおいてくれたのだろう。


  ほどいて持ち帰って、三日ほど考えて、
  「お手紙」を書くことにした。

  ボール紙の端にキリで穴を二つ開けて、
  麻紐を二本、結んで下げられるように通して、
  紙の両面にマジックで文字を書く。


    ・このあたりで ハンカチを ひろってくださった方へ
    ・ハンカチは 持ち主のところへ もどりました
    ・ありがとうございました

               持ち主より

  
  夜、人通りが少なくなるのを待って、
  葵のプランターを目印に、ガードレールに下げてきた。



へら台


  ああ、あれね…と思い出される方は、もう少ないのではないかしら。
  和裁の道具の一つに「へら台」というのがある。


  洋裁では、布を裁ったり縫ったりする時、チャコというチョークのような
  もので線を描いたり、糸で粗く縫ったりして目印にする。

  和裁の場合は、象牙などで作った「ノ」の字の形の箆(へら)を使う。
  手の中に握るように持ってキッキッと生地に圧しつけると、布目が潰れて
  光った線状の跡が残って、それが裁ったり縫ったりの目印になる。

  反物を広げて、そういう作業をするには、長いマットのような物が必要だ。
  かなりの長さになるのを、使わない時は畳んで仕舞えるように工夫したのが
  和裁の「へら台」で、168センチ×39センチ、厚さ7ミリの板状のものが、
  お経の本のように折りたたむと、小ぶりのビジネスバッグほどになる。


  子どもの頃は、遊び道具にしていた。
  祖母のや母のや二つも三つもあるのを、囲いのように立てて並べて、
  檻に見立てた中に弟を入れて、動物園ごっこなんかした。

  結婚するときには、親から一つ持たされた。
  手もとにあるのがそれで、経本の表紙にあたる赤い和柄の布張りの部分には、
  「御裁縫
臺」という金文字が押されている。白の木綿張りのマット部分に
  残っている疎らなヘラの跡は、幼い娘のワンピースを仕立てた名残りだ。
  一部分だけ開いてコンパクトに使うことも出来るので、
  狭い住まいでの裁縫に便利だった。

   *     *     *

  いま居る家は広い。広のは有難いが、古いので寒い。
  暖房を節約していたら、耳たぶに霜焼けが出来た。

  夜は、いっそう冷える。
  南側の窓のほうを枕に寝ていると、ガラスごしに冷気が伝ってくる。
  ぐるっと向きを変えて廊下側を枕にしたら、少しマシになった。

  秘密兵器が二つある。
  一つは、人の発する湿気を熱に換えるという敷き毛布。
  もう一つは、中国製の肌掛けタイプの「かい巻き布団」。
  打ち掛けみたいな、袖と襟のある布団で、薄く真綿が入れてある。
  肩を覆うようにして寝ると、ほこほこと暖かい。


  それでも、頭のあたりが寒い。
  窓側ほどではないが、北に面した廊下側からの冷気も半端でない。
  考えた末に、三つ目の秘密兵器に「へら台」を採用することにした。

  枕屏風というのがあるでしょう?
  あれを真似て、屏風よろしく枕元に立ててみた。
  思いのほか暖かい。あると無いで、はっきり違う。
  満足して、ずっとそれで寝ているのだけれど、一つ問題がある。

  これって、仏様スタイルなんですよね。

  亡くなった方は、北枕にお寝み頂く。
  枕元には小さな屏風を置く。

  正式には、二つ折りの枕屏風を逆さに置くので、
  赤い縁取りの六面の屏風(?)は、違うといえば違うけれど。
  …ま、いいよね、生きてる身としては風邪をひかないのが一番。
  今夜も暖かくして、安らかに眠ることにしよう。



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