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二十代 フォークソング |
復帰まで 要約 私にとって今 |
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二十代 |
フォークソング | |
♪ 君の手の中の その小さな幸せ 君の手の中の その小さな夢を 君は離すまいと 目をつぶり耳をふざぎ 押し寄せる波をも 見ようとはしない… ♪ ♪ 母さん教えてちょうだいな 戦争って なんのこと 母さん教えてちょうだいな 戦争って どんなこと… ♪ 二十代に、いくつかのフォークソングを書いた。 自分についての思いは、複雑で漠然として歌にならなかった。 レンズの焦点を探すような感じで、私は歌を作る。 私が焦点を見つけることが出来たのは、戦争についてだった。 歌は周囲に受け入れられ、もっと広いところへ出て行きそうになった。 私にとって「素朴な思い」であったものが、「シンボル」のようになって 会ったことも無い人たちを、私の理解を越える世界へ、つれて行きそうになった。 自分が行動する気持無しに、行動を促す歌を世の中に出すことは出来ない。 もし私の歌が、ハーメルンの笛吹きのような役割をするのなら、 私は、そのことに責任を持たなければならない。 フォークソングを広めようとしていた仲間から、私は遠ざかった。 |
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復帰まで | |
要約 | |
自分に作曲は出来ないと思い込んでいた25年間は、 私にとって、かけがえの無い財産となったけれど、 泣きたいほど惜しい、失われた時でもある。 なぜ書けなくなったのか、 なぜ書けるようになったのか、 原因となった要素の一つ一つに表と裏があり、 だから書けなくなったのだとも、だから今書けるのだとも言える。 改めて書くこともあるだろう。今は要約して書く。 私は結婚した。 夫は伸びやかに育った人で、 子どもが生まれ、それぞれに試行錯誤しながら、 家族めいめい精一杯自分らしくあろうとして生きてきた。 結婚によって私は、自己というものについて、 より深く考える機会を与えられた。 作曲をしないでいた間、私はいろいろなものを作った。 お菓子やパン、セーターや洋服、娘のための絵本やアドベント・カレンダー。 作るのは楽しかったけれど、作曲に対するようなこだわりは持てなかった。 書けなくなったのが、学校のせいでも先生のせいでも無いこと、 子育てが終わったから作曲に復帰したのではないこと、 この二つは、書いておきたい。 44歳で再び作曲するようになる。 復帰のいきさつについては、もう少し詳しく、 CD「ひらがなの手紙・1」(リニューアル版*)のジャケットに書いている。 |
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私にとって今 | |
作曲に「正しい音」は無い。 あるのは快と不快、好きな音と嫌いな音。 私がいま感じていることが羅針盤。 何かを探すなら、外ではなく自分の内側。 音には音の自然がある。 楽器には楽器の、演奏者には演奏者の自然がある。 そういう自然を集めて一つの世界を作れたら、それが音楽。 音楽は手段ではなく、一つの宇宙。 手のひらで重みを量るように、 小首をかしげて、ああか…こうか…と、 考えられなくなるまで考える。 それが、私の作曲です。 |
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堀江はるよ公式サイト・エッセイで描く作曲家の世界 <カタツムリの独り言>
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