風の笛 |
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テナーリコーダー
独奏
8分
1992年
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リコーダーには様々な種類がある。
中で一番、音域によって音むらがあるというテナーリコーダーを、敢えて選んだ。
人の声も、いつも美しいよりは、少しかすれたり、くぐもったりする方が面白い。
枯野に忘れられた笛が風に吹かれて鳴り出す…
野原は幼い日をすごした武蔵野。
微かに、二十代で見た京都の落柿舎のあたりが重なる。
* * *
度々書いたが、小さいころから笛に憧れていた
五条大橋で牛若丸の吹く横笛、平敦盛の青葉の笛…
小学校も高学年の頃、憧れが昂じて、紙で笛を作った。
画用紙を丸めて筒を作る。もう一枚別の画用紙にクレヨンで、朱の地に籐巻きを描き、
指穴を切り取って、筒に巻きつけるように糊で貼ると「らしきもの」が出来上がる。
これに「秋草の笛」と銘をつけて、中学の頃まで持っていた。
本物の笛は、吹けなかった。思い余って息が強すぎたらしい。
リコーダーを習ってみて分かった。今は少し吹ける。
それが、たまらなく嬉しい。
* * *
2006年の今年、思いがけず横笛の曲を書くことになった。
書こうとすることになった…と言うべきかもしれない…いつ出来るか分からない。
選んだ「その笛」の言葉を、自分のものにしてから書きたいと思っている。
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マイ・リトゥル・リコ |
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クライネ
ソプラニーノ
独奏
1分
1992年
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1993年9月5日、京都のバロックザール・青山音楽記念館にて、
「第一回・堀江はるよの作品によるコンサート」を開催。
いわゆる作品発表会でなく、通りがかりの人がフラッと迷い込んで聞いても、
面白かったなぁ…と言って帰ってくれるような、フツーの音楽会にしたかった。
既に書かれていた7曲に加えて、楽しめるプログラミングと、7名の出演者を念頭に、
新たに5曲を作曲。レパートリーとして消化して、こなれた演奏をしてもらえるように、
出演者には半年前に楽譜を渡した。
当日、全てのプログラムが終ってから、私は黒のシンプルな服装で舞台に出た。
短く挨拶をしてから、“実はアンコール・ピースも用意しましたので…”と、
リコーダー奏者の小林達夫さんを舞台に呼ぶ。
小林さんは、何も載っていない譜面台だけを持って登場。
“え〜、今日のコンサートの中で一番小さな楽器で…”
胸のポケットから葉巻ほどの、おもちゃのようなリコーダーを取り出す。
“楽譜も省エネで…”
別なポケットから出して譜面台に置いた楽譜は、葉書サイズ。
ドッと起こった笑いがおさまったところで演奏が始まる。
高く澄んだ音が、響きの良いホールを、遊びながら駆け抜けた。
こういう自主企画によるコンサートを、同じバロックザールで、
二年くらいの間隔で続けたい思ったけれど、資金の不足で出来なかった。
いつか、「第二回」を開きたい。
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空の下 |
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クライネ
ソプラニーノ
を
除く
すべての
リコーダー
&
パーカッション
10分
1992年
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「堀江はるよの作品によるコンサート」を企画したとき、
プログラムの後半に、思いっきり陽気な曲が欲しくて、これを書いた。
楽器はリコーダーと中世の太鼓テイバー、タンバリン。
白く乾いた大地が広がる。
道の傍の棕櫚の木陰に旅芸人の夫婦が坐り込むと、
笛が、太鼓が、タンバリンが、喧しく響き渡る。
食べ物にも、お米のような大人しいものから、ピリカラのキムチまであるように、
音楽も私は、いろいろと目先を変えて書くのが好きだ。
静かで美しい音楽を書くと、今度は喧しい音楽が書きたくなり、マジメな曲の後には
フザケた曲を書いて“な〜んちゃって!”と言いたくなる。
…というようなことを考えていたら、歌舞伎に於ける「シリアスさと滑稽味の同居」
について、折口信夫の指摘を引いて書かれている文章を、ネットで見つけた。
「もしかしてホント?…だったらちょっとキビシィなぁ」みたいな物語の中に、
敢えて滑稽な場面を入れて、演じる者と観客の間に「これは嘘でーす・そうかそうか
そうだろう」という暗黙の了解を作る伝統が、古くは古事記、今昔物語あたりから
受け継がれて歌舞伎まで、一つの流れとしてあるという。
(和事芸の起源 http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin92.htm/ )
プログラムを考えるとき、私もそういうことを考えていた。
組曲や、幾つかの楽章に分かれた曲を書く時にも、途中で“なぁんちゃって!”と、
シリアスさと滑稽味の同居を目論みたくなる。
これって、日本人のDNAだろうか?
他にも最近、自分について気がついたことが、幾つかある。
例えば、メヌエットのように、それが一つの形式になっている曲を除いて、
私は曲の一部を全く同じに繰り返すということをしない。繰り返し記号で書いて
済ませれば良いときにも、微妙に変化させて、同じにならないようにする。
クラシックの奏者には“憶えるのに手間がかかる”と面倒がられることがあるが、
横笛の奏者に尋ねたら“全く平気です…邦楽は皆そうですから”と答えた。
書き始める前に、こんなふう…と空気の塊のようなものを思い浮かべはするけれど、
私は、あらかじめ構成を考えるということをしない。こういう書き方は、洋楽に
於いては、プロらしからぬ…と誤解されかねないが、邦楽に於いては普通らしい。
いま私は横笛の曲を書き、笛と琵琶の曲を書こうとしている。
クラシック音楽の世界に於いて、邦楽の楽器のために作曲することは、意欲的とか
挑戦的とかいう言葉で表現される場合が多いが、私の気持は違う。
私は、いつもと同じように手のひらで重さを量るようにして楽器の自然を探し、
それぞれの楽器の…笛なら笛の、琵琶なら琵琶の言葉で私の想いを描きたい。
楽器の自然と、日本人である私の自然が一つになれば、新しいとか、古いとか、
洋楽とか邦楽とかいうことを越えて、「今ここに在るべき音楽」が現れるだろう。
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ソナチネ
(ピアノ) |
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ピアノ独奏
3分
1992年
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ソナチネの長いのって、おかしいよネ…という気がする。
「…ine」は縮小詞だから「Sonatine」は、ちっちゃなソナタ。
ピティナ・ピアノ・コンペティションの課題曲募集に応募するときに、
3分以内という規定を読んで、じゃぁソナチネにしよう…と思った。
3楽章で3分の、箱庭のようなミニチュア・ソナタ。
箱庭の中には小人がいて、飛んだり跳ねたり、酔っ払ってフラフラしたり、
溜息をつくかと思えば、地団駄を踏んで、笑って、走り去る。
小人は、いたずらっ子になりたかった私の分身。
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クラス会 |
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ピアノ・デュオ
一台二手
4分
1992年 |
卒業後一年目の、地方の大学のクラス会風景。
やぁやぁ…と、楽しげに挨拶を交わす若者たち。
一年ぶりに会うのは、東京へ行った男の子と、地元に残った女の子のペア
“手紙くらいくれても良かったんじゃない?”と、女の子が言えば、
“忙しかったんだよ…”と、男の子は不機嫌。
どうやら、もう彼の心は、どこか遠くへ行ってしまった様子。
“いいのよ…私だって気にしてなかったんだから!”
女の子は失望を隠して大はしゃぎ。果ては呑みすぎて、おや…泣き上戸の出来上がり。
かたわらに坐ってポソポソと慰めているのは、ずっと片想いだった地味な彼。
今度こそ、チャンスが巡ってくるかも、こないかも。
おしゃべりと笑い声の渦の中に、沸き起こる議論、興奮して聴き入る仲間たち。
歩みだしたばかりの人生、若いエネルギーが沸騰する。
* * *
この曲は、ある地方の音大出身の演奏家のタマゴ氏(当時)のために書いた。
同窓会のコンサートで「マキちゃん」と連弾する曲が欲しいのだと言う。
大人しい彼の青春をお手伝いしたくて、二人の手が、重なったり…離れたり…と、
微妙な演出に心を砕いて、三分の一ほど書いたところに、電話が入った。
マキちゃんは弾かないことになった…という。
“赤ちゃんが出来たので”という。
“はぁ?”となったが、何のことは無い、私の早とちり。
マキちゃんは、卒業後すぐに別な人と結婚したのだそうで、
タマゴ氏にとっては単なる仲良しの同級生。「想い人」ではなかったのデス。
代わりに相方を務めることになったのは、後輩の男の子だという。
目論んでいたハッピーエンドの演出は消し飛び、目算違いに悩む羽目になって、
しばらくマゴマゴしたが、語らいを議論に切り替えて書き上げた。
今は、この形のほうが気に入っている。
弾いても聴いても楽しい作品なので、連弾に興味のある方にお勧めしたい。
中間部は、男女で弾くと、ほのかにスリリングです。
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