音楽にたずさわる者からの発信 〜阪神大震災に際して〜 音楽は人の心を癒します。 今回の震災に於いても、様々な形で音楽が癒しを提供するでしょう。 けれど考えて下さい。 音楽は“自然にそこにあるもの”ではありません。。 長い修練を積み、不安定な収入で生活を支える努力を重ねて、 やっとなんとか食べられるようになった幸運に感謝しつつ、 音楽家の多くは暮らしています。 被災した土地にも沢山の音楽家が生活していました。 安心して音の出せる住まいを失い、良い演奏に欠かすことの出来ない高価な楽器、 収入のもとであった演奏の場、教える場や人の繋がりを失って、 どうしよう!…と思っても答の見つからない音楽家が、 今、被災地に少なからず居るはずです。 音楽は人の心を癒します。 その音楽の後ろには、音楽を奏でる人がいます。 音楽家であることが困難になった音楽家たちのことを、 どうぞ皆さん考えて下さい。 2020年4月 付記 〜コロナ・ウィルス感染拡大の今〜 コロナ・ウィルス感染拡大の懸念される現在、 フリーランスで働く多くの人が、収入の道を失い、生活の危機にさらされています。 震災よりも更に先の見えない今、収入の道を失うことは フリーランスの人にとって、未来を失うことに繋がりかねません。 この今、私たちの一人一人が、わずかでも持つ余力を 身近なフリーランスの人、たとえ一人とでも分け合うことができたら… 方法は様々あると思います。 フリーランスの人、そして音楽にたずさわる人への 皆様のお力添えを、お願いいたします。 堀江はるよ |
|||||||
|
解説 | |
阪神大震災のとき、私は兵庫県宝塚市に仕事場を持ち、西宮に住んでいました。 以下、ここに載せた文章の内の最初の三つはは、そのときに書いた文章です。 短い期間に一つの事件について、異なる立場の人たちを対象に書きましたので、 内容が重複しています。御了承下さい。 |
お願い | |
(1995年1月・避難先からのFAX) ご心配をおかけしております。 私は、宝塚の仕事場、西宮の自宅とも建物が無事、 楽譜(販売用も)、楽器、本人、家族も無事です。 ガス水道が止まり生活物資を得るのが大変なのと余震の恐怖で、 安全な豊中の友人宅に避難しました。 少し離れただけで、町は何事も無かったかのように物があふれ、 “日本にまだこんな所があったか!”と目まいをおぼえました。 私は何とか自分のまわりの人の力を借りて立ち直ってゆくことが できると思いますが、音楽関係者の中には家を失った方、家族を失った方、 楽器を失った方もおられます。今はまだ国からの援助も考えられますが、 表面的には一応おさまった頃、演奏の場が無くなり、教える場所が無くなり、 習いに来る生徒が無くなって、収入を得ることが難しくなる方は、 被災された方はもちろん、被災されなかった方の中にも出てこられると思います。 只今の援助が有効であり有難いのはもちろんですが、音楽界というものを考える時、 有能な演奏者が、このことによって音楽家としての生命を損なわれないよう、 また勉強中であった方達が、志を曲げないで勉強を続けて行かれるよう、 余力のある方達からの長期的な配慮に基づく御援助が頂ければ、本当に嬉しいと思います。 ショックで やはり少し頭もボーッとしておりますので、 思いつくままに、こうした文章をお送りするのは、どうかなとも思いましたが、 私自身、仕事場と楽器が無事とわかりますまでは、これからどのようにして 作曲家としての生命を維持しようかと、生き残ったことを喜ぶことも忘れて悩みました。 どうぞ援助の必要な方達の為に、余力のある方達のお力が集められ、 小さなものも集められて大きな助けとなりますよう、御配慮をお願い申し上げます。 かたつむり出版 堀江はるよ |
「カタツムリの独り言」へ ★ 目次へ戻る |