音楽にたずさわる者からの発信 〜阪神大震災に際して〜 音楽は人の心を癒します。 今回の震災に於いても、様々な形で音楽が癒しを提供するでしょう。 けれど考えて下さい。 音楽は“自然にそこにあるもの”ではありません。。 長い修練を積み、不安定な収入で生活を支える努力を重ねて、 やっとなんとか食べられるようになった幸運に感謝しつつ、 音楽家の多くは暮らしています。 被災した土地にも沢山の音楽家が生活していました。 安心して音の出せる住まいを失い、良い演奏に欠かすことの出来ない高価な楽器、 収入のもとであった演奏の場、教える場や人の繋がりを失って、 どうしよう!…と思っても答の見つからない音楽家が、 今、被災地に少なからず居るはずです。 音楽は人の心を癒します。 その音楽の後ろには、音楽を奏でる人がいます。 音楽家であることが困難になった音楽家たちのことを、 どうぞ皆さん考えて下さい。 ![]() コロナ・ウィルス感染拡大の懸念される現在、 フリーランスで働く多くの人が、収入の道を失い、生活の危機にさらされています。 震災よりも更に先の見えない今、収入の道を失うことは フリーランスの人にとって、未来を失うことに繋がりかねません。 この今、私たちの一人一人が、わずかでも持つ余力を 身近なフリーランスの人、たとえ一人とでも分け合うことができたら… 方法は様々あると思います。 フリーランスの人、そして音楽にたずさわる人への 皆様のお力添えを、お願いいたします。 堀江はるよ |
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解説 | |
阪神大震災のとき、私は兵庫県宝塚市に仕事場を持ち、西宮に住んでいました。 以下、ここに載せた文章の内の最初の三つはは、そのときに書いた文章です。 短い期間に一つの事件について、異なる立場の人たちを対象に書きましたので、 内容が重複しています。御了承下さい。 |
お願い | |
(1995年1月・避難先からのFAX) ご心配をおかけしております。 私は、宝塚の仕事場、西宮の自宅とも建物が無事、 楽譜(販売用も)、楽器、本人、家族も無事です。 ガス水道が止まり生活物資を得るのが大変なのと余震の恐怖で、 安全な豊中の友人宅に避難しました。 少し離れただけで、町は何事も無かったかのように物があふれ、 “日本にまだこんな所があったか!”と目まいをおぼえました。 私は何とか自分のまわりの人の力を借りて立ち直ってゆくことが できると思いますが、音楽関係者の中には家を失った方、家族を失った方、 楽器を失った方もおられます。今はまだ国からの援助も考えられますが、 表面的には一応おさまった頃、演奏の場が無くなり、教える場所が無くなり、 習いに来る生徒が無くなって、収入を得ることが難しくなる方は、 被災された方はもちろん、被災されなかった方の中にも出てこられると思います。 只今の援助が有効であり有難いのはもちろんですが、音楽界というものを考える時、 有能な演奏者が、このことによって音楽家としての生命を損なわれないよう、 また勉強中であった方達が、志を曲げないで勉強を続けて行かれるよう、 余力のある方達からの長期的な配慮に基づく御援助が頂ければ、本当に嬉しいと思います。 ショックで やはり少し頭もボーッとしておりますので、 思いつくままに、こうした文章をお送りするのは、どうかなとも思いましたが、 私自身、仕事場と楽器が無事とわかりますまでは、これからどのようにして 作曲家としての生命を維持しようかと、生き残ったことを喜ぶことも忘れて悩みました。 どうぞ援助の必要な方達の為に、余力のある方達のお力が集められ、 小さなものも集められて大きな助けとなりますよう、御配慮をお願い申し上げます。 かたつむり出版 堀江はるよ |
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