夜・朝・そして
…夜 |
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弦楽四重奏
17分30秒
1990年
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これと思う音を見つけられなくても、
この音は嫌だ…と思えたら、話は一歩進む。
「嫌な音」を捨てつづければ、いつか「嫌でない音」に出会う。
ただ、“これでは、いけないんじゃないか?”と思うと、作曲は出来ない。
何かの禁止事項に触れるのではないか、許されないのではないかと、
アンテナを外に向けて探っていては、自分の音楽は作れない。
○でも×でもない巨大な△の世界で、
自分の感覚だけを頼りに針路を探す…
私は、アンテナの向きを変えた。
すると人生が、リバーシブルのコートのように引っくり返った。
優しさと見えたものが冷たく、冷たく見えたものが温く感じられるようになった。
新しい人生が始まったが、クルッと変われることばかりではない。
自分を育てなおすような気持で、この後、私は生きてきた。
そのスタート地点の混沌とした心を、
一日の情景に置き換えて、この曲に描いている。
思い返しては溜息をつく夜半。
朝の爽やかな冷気の中で、全ては新しくなる。
しかし、せわしない昼の後には、
満艦飾の灯りに照らされた騒々しい夜が来る。
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外野席で |
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書けないでいる間に何度も、他の人の作品の演奏を聴く機会があった。
クラシック音楽の世界に於いて、
日本人の作品が一般のコンサートで演奏されることは少ない。
たいていは作品発表会、作品展、出版で言えば自費出版のような形で、
作曲者が演奏者を雇い、会場を設定して人を集めて、作品を聴いてもらう。
お客の90%は、教え子や友人知人、関係者だ。
作曲者も演奏者も、テレビで人気の…という場合は少ない。
クラシックというけれど、モーツアルトでもラヴェルでもバッハでもない。
需要があって開くのではないから、チケットは売れず、かけた費用は戻ってこない。
出費を抑えるために、何人かが集まって、持ち寄った作品を並べる形が多かった。
「コントラバスのための…」「トランペットのための…」と
「ための」の付く題名が、プログラムに並んでいることがある。
チラシの印刷の都合上、コンサートの数ヶ月前には、プログラムを決める。
その時に曲が書き始められていなくて、どんな曲になるか分からない状態だと、
とりあえず使う楽器だけを決めて、それを題にすることが多い。
“実は、この作品は2時間前に出来上がりました”と、
司会者が披露するのを聞いたことがある。そう珍しい話ではなかった。
演奏者は、すばやくカンを働かせて「らしく」弾く、初見の能力を問われる。
一つの新しい作品をステージで演奏し終えた充実感を感じるには、いささか慌しい。
* * *
終演後、演奏者のおしゃべりを耳にすることがあった。
呑み屋での上司の悪口…みたいな面も無いとは言えないが、
的確に問題点を捉えていて、作曲者が聞いたら勉強になるのに…と思った。
“ともかく何とか一応カッコつけて弾かなきゃ舞台で恥かくのは俺だもん、
あっちこっちにヘンなトコあんの、適当に直して弾いたら
作曲者の奴、‘良かったよ、素晴らしかった…アリガトウ!’って言いやんの。
楽譜で頭殴って‘二度とこんな曲書くな!’って言ってやったよ”
友人がこういうのを聞いて、“それが親切よね”と私は言った。
“二度とこんな曲書くな”と言われた作曲者は、考えざるを得ないだろう。
演奏者のおしゃべりの殆どが陰口で終ってしまうのは、何とも勿体無い。
* * *
作曲に復帰したとき、私はまず演奏者とコミュニケイションを取ろうとした。
あの楽屋のおしゃべりを、作品の完成前、書いている段階で聞きたかった。
その他にも、いわば外野席に居て、考えたことがある。
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風船 |
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再び書き始めたとき、私には家庭があった。
心を開いて周りを受け入れることが、家庭に於いては求められる。
自分を淡くして周囲と溶け合うことが、家庭を持った女性には求められる。
作曲する私は、私の心に閉じこもる。
やわらかな透明な風船の中に座ったように一人ぼっちになって、
受け入れることも溶け合うこともパスして、風船の中を私の感覚で一杯にする。
音符を書くのは、作曲のほんの一部だ。
書こうと思うことは、日常生活の中で芽生え、熟成される。
くっきりと自分を持って、一人ぼっちになって自分の心と向き合う…
そういう時間が無ければ、作曲する私は居なくなってしまう。
人が、自分を矯めることなく、ありのままに存在して、
ときに淡く広がって周りを受け入れながら、なお自分を保ち、
ふうわりと大きな心の風船の、内圧を失わずにいるには、どうしたら良いのだろう。
この問いを、私は今も持ちつづけている。
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