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高校、そして (書けなくなって) プラム まど 空白 |
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高校、そして |
プラム | |
歌 1分 |
高校一年のときに作る。 歌詞は安易、メロディーは幼稚で粗雑。 いま思い出しても、もう一つ愛着を感じない。 小ぎれいなウソに、心がついてゆかなかったのだろう。 ♪ プラム プラムよ 紅い プラムよ 裏の畑で 母さんが… ♪ ある日、少女が化粧を始めるように、 この頃から私は、自分にメイクアップを施し始めた。 東京藝術大学作曲科に入学した私は、数年後に書けなくなる。 |
空白 | |
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心を音にするのが作曲だと、私は思う。 圧されても潰れない、たわめても曲がらない、 しっかりした心、強い自我がなければ、作曲はできない。 大人になるのは、世の中に順応することだと思って、 私は、盆栽のように自分を仕立て直そうとした。 そして心を見失って、書けなくなった。 手先で書いても、自分の音楽とは思えなかった。 そうでないことは判った。そればかりが感じられた。 うろうろと試行錯誤する自分を待ってやる優しさは、私に無かった。 作曲は出来ないと、私は諦めたが、私の心は諦めなかった。 25年間、私は書かなかった。私の心は球根のように待っていた。 自分の人生を、ひとのせいにしようとは思わないが、 一つだけ、世の中に変わってほしいと思うことがある。 女性が、若者が、子どもが、強い自我を持つことを、周囲の人は怖れないでほしい。 和を以って尊しと為す文化の中で、 長い間、弱い立場にある者は自我を矯めて生きてきた。 花嫁衣裳の白無垢は、女性の心を婚家に合わせて、 「いかようにも染めてください」という意味だと、幼いころに聞いた。 けれど、いかようにも染まる心で、人と真実の交わりが出来るだろうか。 他の誰とも違う自分が、どのような人間として生きれば良いのか、人は一生迷いつづける。 その難しい判断を、誰かに、何かに預けてしまえるなら、こんな楽なことはない。 しかし誰が私を、私以上に知って導くことが出来るだろう。 自我とは、大そうなことではない。 薔薇が薔薇、桜が桜であるということだ。 自分らしい心を、しっかりと持って初めて人は、葉を出し花を咲かせる。 大きく見えることも、小さく見えることも、 強い自我を持って初めて、まやかしでなく出来るのだと、 心を取り戻した今、私は思う。 |
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堀江はるよ公式サイト・エッセイで描く作曲家の世界 <カタツムリの独り言>
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