〜堀江はるよの音楽・作曲その周辺〜



筆者の出版物

     

高校、そして
(書けなくなって)

プラム

まど

空白



堀江はるよのコンサート

文字放送版



 
   高校、そして  
プラム

 歌  1分
















   


 高校一年のときに作る。

 歌詞は安易、メロディーは幼稚で粗雑。
 いま思い出しても、もう一つ愛着を感じない。
 小ぎれいなウソに、心がついてゆかなかったのだろう。

    ♪ プラム プラムよ 紅い プラムよ
            裏の畑で 母さんが… ♪


 ある日、少女が化粧を始めるように、
 この頃から私は、自分にメイクアップを施し始めた。

 東京藝術大学作曲科に入学した私は、数年後に書けなくなる。


まど

 ピアノ・ソロ
     3分




































   


 高校二年のとき作曲。
 
 心にあった「音楽の芯」のようなものは、たぶん変わらないのに、
 書いている姿勢が、今と違う。
 
 私は、もちろん一人でこれを書いた。
 そばに作曲について、あれこれ言う人はいなかったのに、。
 内に向けられるべき私のアンテナは、ひたすら外に向けられている。
 これで良いのか、これで正しいのかと、自分にではなく、
 外にある何かに問いかけながら書いている。

 答は自分の中にある。
 それを、私は知らなかった。


 誰の心の中にも、広い野原がある。
 野原でなくとも良い。コンクリートのジャングルでも良い。
 子どものころ私たちは、どんなところにも「何か」を見つけた。

 作曲をする私は、心の中の広い空間に芽生えたり響いたり淀んだりするものを拾い上げ、
 そっと手のひらで包むように持って“これは何になるのだろう”と考える。
 地べたに描いた四角が家になり、青い石ころが宝石になるように、
 心の中の「何か」が音に姿を変えようとするのを、私は手伝う。
 丁度良い姿になると、音はのびのびと嬉しそうに響く。
 うまくゆかないと、脱皮しそこねた生き物のようになる。

 ほかのどこにもいない生き物の、
 まだ誰も見たことのない「丁度良い姿」を見つけるのに、
 知識は、結局は役に立たない。

 作曲に必要なのは、心の自由と、静かな時間。
 そのどちらも、失くさないでいるのは難しい。

 窓は外界と自分との境界線。
 あの頃、私の世界は内も外も寒々としていた。



空白
     





































 心を音にするのが作曲だと、私は思う。
 圧されても潰れない、たわめても曲がらない、
 しっかりした心、強い自我がなければ、作曲はできない。

 大人になるのは、世の中に順応することだと思って、
 私は、盆栽のように自分を仕立て直そうとした。
 そして心を見失って、書けなくなった。

 手先で書いても、自分の音楽とは思えなかった。
 そうでないことは判った。そればかりが感じられた。
 うろうろと試行錯誤する自分を待ってやる優しさは、私に無かった。

 作曲は出来ないと、私は諦めたが、私の心は諦めなかった。
 25年間、私は書かなかった。私の心は球根のように待っていた。


 自分の人生を、ひとのせいにしようとは思わないが、
 一つだけ、世の中に変わってほしいと思うことがある。
 女性が、若者が、子どもが、強い自我を持つことを、周囲の人は怖れないでほしい。

 和を以って尊しと為す文化の中で、
 長い間、弱い立場にある者は自我を矯めて生きてきた。
 
 花嫁衣裳の白無垢は、女性の心を婚家に合わせて、
 「いかようにも染めてください」という意味だと、幼いころに聞いた。
 けれど、いかようにも染まる心で、人と真実の交わりが出来るだろうか。

 他の誰とも違う自分が、どのような人間として生きれば良いのか、人は一生迷いつづける。
 その難しい判断を、誰かに、何かに預けてしまえるなら、こんな楽なことはない。
 しかし誰が私を、私以上に知って導くことが出来るだろう。

 自我とは、大そうなことではない。
 薔薇が薔薇、桜が桜であるということだ。
 自分らしい心を、しっかりと持って初めて人は、葉を出し花を咲かせる。

 大きく見えることも、小さく見えることも、
 強い自我を持って初めて、まやかしでなく出来るのだと、
 心を取り戻した今、私は思う。
 

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