〜堀江はるよの音楽・作曲その周辺〜

筆者の出版物


中学校

秋の唄

踊る女

 風吹く野辺




堀江はるよのコンサート

文字放送版



 中学校  
秋の唄  
  
 歌  32秒








































    


  枯野を歩む前髪立ちの若武者、秋草紅葉之介。
 旅姿の腰には、一管の笛。

 ♪ 王子さまが 来る〜 ♪ と歌った「お姫様ごっこ」の明け暮れは、
 小学三年頃、大振袖の美しい小姓と若殿の活躍する「時代劇ごっこ」に代った。
 子供向けのラジオドラマ「笛吹き童子」が始まった頃で、
 大映、東映、時代劇映画は全盛。イメージのもとに事欠かなかった。

 学校に行くにも、ポニーテイルの前髪を密かに分け、カバンに扇子を忍ばせる。
 手に入らない小道具は紙で作る。刀、印籠、一番に工夫を凝らしたのは笛だった。
 白い紙を巻いた上に、もう一枚、クレヨンで朱色に塗った紙を巻く。
 節のような「樺巻き」を描き、吹き口も指穴も作った。

 紅葉之介は河原で、秘曲「秋の唄」を吹くのだが、
 紙の笛を口に当ててトゥートゥー言うだけでは詰まらない。
 たいてい笛は前奏だけで、後は歌になった。紅葉之介のテーマ・ソングだ。


   ♪ あ〜きに な〜って こ〜の〜はも ち〜って
       く〜さも か〜れて さ〜み〜ぃしく な〜る ♪
    
   歌詞は二度くり返され、メロディーは終わりの4小節で「rit.」しつつ上昇、
   切なく長いフェルマータで終わる。


 美しいもの古いものへの憧れ、手で物を作る楽しみ、演ずる喜び…
 中学に入っても、私は秋草紅葉之介の世界に浸っていた。

 “もう止めなさい…”と言われたのは中間試験の前。
 画用紙を巻いて「密書」を作っていて、母に見つかった。
 “もう、中学生になったんだから…”

 秋草紅葉之介は私の心に、嫋々たる笛の音を残して消えた。

  
 およそ四十年たって、私たちは再会する。
 笛の音は、リコーダー・ソロ「風の笛」となり、
 秋草紅葉之介は、「「ハーメルン」の笛吹きになって戻って来る。


                         2004.12


踊る女  
 
 油彩  50号














































   


   これは曲ではない。たたみ半畳ほどの油絵だ。

  昭和二十年代、町が賑やかになりはじめた頃、近くの商店街に若い画家がいた。
  アトリエの片隅を店にして今川焼きを売っていたのに、私の母親が目を留めて、
  「そんなことをするより、絵を教えたら?」と勧めた。
  間もなく彼は今川焼きの台を片付けて「こども絵の会」という看板を出し、
  五歳の私は、彼の一番弟子になった。
  エキゾチックな美人の奥さんがいて夜はバーになる。
  生徒は、洋酒の壜ばかり写生させられた。

  そのうち母の指図で、私は50号のキャンバスに油絵を描くようになった。
  中の一枚、巨大な母の肖像は、今も我が家の物置にある。

  中学になって、私は初めて「描きたい絵」を心に持った。

  朱と暗緑色で斜めに塗り分けられた画面一杯に、ジプシーの女が一人、踊っている。
  膝から下、広げた両手の肘から少し先は、画面の外で見えない。
  真っ黒な髪、とび色の肌、片方の肩は剥き出し。
  黄と臙脂のドレスの太い横縞が、くねる体に這うような線を描く。

  心にあるままを一気にキャンバスに移した絵を、画家はたいそう喜んでくれた。
  いままでに子どもの展覧会には入選していたから、今度は大人のに出そうという。
  画家は絵を持った私を、大先生のところへ連れて行った。

  大先生は、弟子の一人の名をあげた。そこで見てもらえという。
  中堅どころの、いわば「中」先生らしい。
  紹介状と絵を持って、私は「中」先生の所へ行った。
  眉間に皺のある、胡麻塩頭の初老の画家だった。

  「考えていることは大人だけれど、技術は子どもなんでね…」
  しばらく見ていた彼は、くるっと絵の向きを変えて、縦が横になるようにした。
  そして、薄く溶いた青いような白いような絵の具を、巾広の筆にたっぷり含ませると、
  私の絵の上を、撫ではじめた。

  ありえないことを前にすると、思考が停止する。
  気がつくと「踊る女」は、青い目を開いて、白い草の間に、
  マリー・ローランサンの出来損ないのような姿になって横たわっていた。

  たぶん私は、挨拶をして出たのだろう。
  キャンバスが風をはらんで持ちにくかったのは、憶えている。
  家に着くなり二階に上がると、私は声を上げて泣いた。

  絵は、それきり止めた。
  私にとって、止められる程度のものだったのだろう。
  しかし「踊る女」は、はっきりとした姿で、今も私の心にある。


風吹く野辺
 
 歌 2分30秒



















  


 中学二年頃に作る。

 四国八十八ヶ所めぐりの巡礼は、チリンチリンと鈴を鳴らしながら御詠歌を歌う。
 起伏の少ない、緩やかなテンポの、物悲しい感じのする歌だ。
 この曲もそんなふうで、雰囲気が似ている。

    ♪ 風吹く野辺に ひとり立てば  夢も悩みも 吹き去りゆき
        まことの吾に かえる心地   まことの吾に かえる心地 ♪

 夢を持つことが重荷と感じられるような、
 ロゥティーンにとって健康的とは言いかねる状況に、私は居た。
 友だちは居たが、根っこを風がすり抜けるような孤独感は、一人で抱えるしかなかった。
 小学校から大学まである学園の、武蔵野の面影を残す林や、グランドの周りの広い草原で、
 風に吹かれながら一人で歌っている時が、一番傷つかなくて楽だった。
 
 歌詞は三番まであるが、心の捻れが痛々しくて、ここに書く気になれない。

 それでも私は、この曲が好きだ。今も、ときどき歌ってみる。
 赤剥けの心が風に晒されている。イナバの白ウサギのような曲だ。


 
  
 高校

  
プラム

 歌   1分















   


 高校一年のときに作る。

 歌詞は安易、メロディーは幼稚で粗雑。
 いま思い出しても、もう一つ愛着を感じない。
 小ぎれいなウソに、心がついてゆかなかったのだろう。

    ♪ プラム プラムよ 紅い プラムよ
            裏の畑で 母さんが… ♪


 ある日、少女が化粧を始めるように、
 この頃から私は、自分にメイクアップを施し始めた。

 東京藝術大学作曲科に入学した私は、数年後に書けなくなる。


まど

 ピアノ・ソロ
     3分



































 高校二年のとき作曲。
 
 心にあった「音楽の芯」のようなものは、たぶん変わらないのに、
 書いている姿勢が、今と違う。
 
 私は、もちろん一人でこれを書いた。
 そばに作曲について、あれこれ言う人はいなかったのに、。
 内に向けられるべき私のアンテナは、ひたすら外に向けられている。
 これで良いのか、これで正しいのかと、自分にではなく、
 外にある何かに問いかけながら書いている。

 答は自分の中にある。
 それを、私は知らなかった。


 誰の心の中にも、広い野原がある。
 野原でなくとも良い。コンクリートのジャングルでも良い。
 子どものころ私たちは、どんなところにも「何か」を見つけた。

 作曲をする私は、心の中の広い空間に芽生えたり響いたり淀んだりするものを拾い上げ、
 そっと手のひらで包むように持って“これは何になるのだろう”と考える。
 地べたに描いた四角が家になり、青い石ころが宝石になるように、
 心の中の「何か」が音に姿を変えようとするのを、私は手伝う。
 丁度良い姿になると、音はのびのびと嬉しそうに響く。
 うまくゆかないと、脱皮しそこねた生き物のようになる。

 ほかのどこにもいない生き物の、
 まだ誰も見たことのない「丁度良い姿」を見つけるのに、
 知識は、結局は役に立たない。

 作曲に必要なのは、心の自由と、静かな時間。
 そのどちらも、失くさないでいるのは難しい。

 窓は外界と自分との境界線。
 あの頃、私の世界は内も外も寒々としていた。


トップページへ戻る        もっとエッセイを読む
こちらも
どうぞ→
 

堀江はるよ公式サイト・エッセイで描く作曲家の世界
カタツムリの独り言
 サイトマップ