考えてること

June 2006 

@「お手紙」から  Aエッセイ「トシ」









                           

        〜堀江はるよの手紙・June 2006から〜



      歳のことを問題にするのは嫌いです

      何歳であろうと構わないと思っています

      だから 言わないし 訊かない。

      今現在ある存在を認めればよいのです



      友人からのメールです

      了解を得て ご覧にいれます




      年齢の割りに…と言われるのも嫌いです

      みんな いろんな事情があって

      体力を失った人も 精神力を失った人もいるでしょう

      やたら元気な人もいます


      その違いを生み出したものは

      遺伝や 家族の運命や 国の運

      本人の努力は ほんの一部

      みな自分の人生を生きてきただけです


      年齢に見合った平均的人生があるとは思いません

      今をどう生きるか どんな人間でいたいかが問題で

      年齢は 問題ではありません


        P.S.

        「フィラデルフィア」 いつか見て下さい



      1993年製作の映画「フィラデルフィア」

      レンタル・ビデオで見ました

      
(この映画の製作当時、エイズは未だ死に直結する病でした)



      人種も 性別も 年齢も

      性的傾向も 体力も 精神力も

      それで差別するのではなく

      全てを含んだ人間同士であれば良い…

      そんな付き合いをしたいものですが

      なかなか難しいですね



      映画とメールが重なって

      私の心が 大きく一つ動きました



                      堀江はるよ









      トシ 〜思ったこと考えたこと・八の巻より〜


  毎朝、ドクダミを煎じて飲んでいる。
  ドクダミという名は「毒矯め」が訛ったので、
  薬効が多いところから、ジュウヤク(十薬)という別名があるそう。
  生の葉は腫れ物に、煎じたものは高血圧や便秘、むくみに効く。

  漢方薬の店などでも売っているが、高くて手が出ない。
  庭のを摘んで、自分で作っている。

  ほこりをかぶって道端に生えているドクダミは、雑草にしか見えないが、
  我が家のは、乳白色の大ぶりな花弁に、ふっくりした黄緑の花芯をつけて、
  のびのびと首を伸ばして咲く。ハート型の葉も柔らかい。

  花が咲く時期が収穫どきだ。
  晴れそうだな…と思う日の朝早くから庭に出る。
  少し丈のあるのを選んで根元から抜いて、庭の水道で一本一本よく洗う。
  根元を一つかみほどの太さに紐で束ね、軒下の竿に並べて下げる。
  カラッと乾くまで、湿度によるが二週間くらい。
  干しあがったら鋏で細かくして紙袋に入れ、乾いた場所に吊るして保存する。
  飲むのは私だけだが、一年分となると量も多い。けっこうハードな作業だ。

  いつまで出来るかなぁ…と、シーズンが来る度にトシを数えていたが、
  最近、そんなふうに、トシを通して自分を見るのをやめてみた。
  たまたま私は、自分の生年月日を知っているけれど、
  そんなものは知らない…という人も世界には居る。
  もし私が自分のトシを知らなければ、
  トシを通して自分を見ることは無いはずだ。

   *     *     *

  大阪梅田の阪急東通の東端に、グラナダというパブがある。
  ギターの生演奏が売り物で「関西のギタリスト発祥の地」みたいな店だ。
  マスターの唄のファンだった私は、関西に住んでいた頃は毎週のように行った。
  どんなときでも、マスターのの唄を聞くと生きているのが楽しくなる。


  私は、ほとんど呑めない。
  その日も、カウンターでコーラを舐めていた。パブだから暗い。
  隣りに男性が坐った。サラリーマン風…中年少し前といったところ。
  ギターファンだそうで、ギターから音楽へと話は、まぁ適当に盛り上がった。

  7時半と9時のライブを聴いて、帰ろうとしたら“僕も帰ります”と言う。
  駅はそう遠くない。そこまで御一緒に…と店を出た。

  商店街の雑踏を避けて、歩道のある広い扇町通りへ出る。
  男性は何だか楽しそうで、足取りがフワフワしている。
  もしかして間違えてるかもネ…と思った私は、話の方向を変えた。


    “いま私のとこに、サラリーマンのオジサンが、
     ピアノを習いに来てるんですよね…”

    “♪〜……”

    “オジサンって言っても、私より年下ですけど…四十代かなぁ”

    “…?…”

    “私、いま五十五ですから…”

    “!!!”


  ちょうど梅田地下街への入口に差し掛かったところで、
  足を滑らせた男性は、危うく階段を転げ落ちそうになった。
  発言の効果に私は気を好くしたが、これってナンだろう?

   *     *     *

  そんな意地悪をしないで貴方も三十代になって楽しめば良かったのにと、
  後で友人に言われた。なかなか素敵な考えだ。二人の人間が幸せになれる。
  かの男性が、私の友人くらい興味深い人物だったら…の話だが。

  それはともかく、彼もトシに捉われていたが、私も自分のトシに捉われていた。
  私は五十代の自分に捉われて、「三十代に見えた自分」を切り捨てた。
  ともかくも、そう見えたのは、事実だったのに。

  私もまた、四十代は…、六十代だから…と、トシの目盛りで自分を見て来た。
  今年は○歳ね…と、誕生日ごとに自分にルビを振って生きてきた。
  それで見落としたもの、切り捨てたものは無かったろうか。
  目盛りは便利だけれど、ものの見方を大雑把にする。
  ルビは、考えることを少なくする。

   *     *     *

  トシを考えないと、なんとなく頼りない。
  薄闇の中を手探りで歩いているような感じだ。
  その分、手のひらから伝わってくる感触のようなもの…
  その日その日の自分の肌ざわりに、私は敏感になりはじめた気がする。


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