… 作品について @ … 塩高和之
「祇園精舎」
平家物語の冒頭、仏教の無常観を現した一節。平家物語は
この一節に集約され、仏教文学としての物語がここから始まります。
「観音華」
熊野の那智の滝には、那智大社という神社と青岸渡寺というお寺があります。
その青岸渡寺の末寺に補陀落山寺というお寺があり、那智の浜のすぐ近くに建って
います。この曲はその補陀落山寺に伝わる「補陀落渡海」を描いた曲です。
このお寺の住職は、代々浄土を求めて7日間の食料しか持たずに舟に乗り那智の
浜から船出する慣わしでした。もちろん死を覚悟した旅立ちで、帰ってきた人は
いません。出で行く僧は覚悟を持って旅立つのですが、その覚悟も刻一刻と迫る
渡海の前に揺らぎ、また舟に乗り込んでからもまだ揺らぎつづけ、波に揺られて
行く中でやっと心の中に悟りを自覚する、その様を描いています。
この曲は2004年熊野補陀落山寺にて初演されました。
「秋月賦」
平家物語の「月見」という部分を琵琶曲に編曲したものです。京都から福原へ
遷都し、京の都は荒れ果てて行くますが、慣れ親しんだ都に思いをはせ都に
赴いた時の情景を描いています。
ここは平家物語で一番美しい場面とされていますが、単に懐かしい云々と
いうことではなく、仏教文学としての平家物語は、ここでも人間の果てしない
業を描いていると言われています。戦いなどは出てきませんが、荒れ果てた都は、
いつの世も人間の尽きる事の無い業が作り出した象徴として描かれています。
… ひとこと …
武士道教育の為の音楽として誕生した薩摩琵琶は、近世の邦楽のような
舞台で聞かせる音楽ではありませんでした。薩摩琵琶を弾く事は
精神修養であり、剣の修行と同じ意味を持っていました。
一方、楽琵琶は殿上人の教養として、歴代天皇においては、政治的にも、
宗教的にも取得しなければならない必須科目でありました。このように
琵琶楽は日本の音楽の中でも特殊な位置にあります。現在では雅楽も
薩摩琵琶も、エンターティメントとして楽しむようになりましたが、
その成り立ちの特殊性は、今でも色濃く残っています。
私はそんな琵琶楽が本来の持っている精神性を基本にして、
現代そして次代に向けて演奏して行こうと思っております。
古から現代へ、今に続く琵琶楽をお聞き下さい。
|