良き仲間を得て、初めて琵琶と笛の作品を書いています。
その仲間「音人まほし」の第ニ回の演奏会のパンフレットをお届けいたします。

                堀江はるよ


音人

の響き〜古から今へ

第ニ回
20081130 () 14:00 開演
かん芸館








ごあいさつ プログラム 作品について@ 塩高和之
作品についてA 前澤祐子 作品についてB 堀江はるよ
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音人

えさわ ゆうこ

りえ はるよ

おたか かずゆき

三つの個性が 和の響きを奏でます   



音人まほし 第ニ回演奏会へ 

ようこそ!    









プログラム

調べ 能管:前澤祐子

祇園精舎(平家物語より) 薩摩琵琶:塩高和之

はるはあけぼの「秋」(前澤祐子) 篠笛:前澤祐子

観音華
(作詞:赤坂友昭 作曲:塩高和之)


…… 休憩 ……

春風 (堀江はるよ) 楽琵琶:塩高和之

(前澤祐子) 篠笛:前澤祐子

鶴〜つるの民話をもとに (堀江はるよ)
篠笛:前澤祐子 楽琵琶:塩高和之


秋月賦 (塩高和之)
能管:前澤祐子 薩摩琵琶:塩高和之
   








作品について @     塩高和之


「祇園精舎」
平家物語の冒頭、仏教の無常観を現した一節。平家物語は
この一節に集約され、仏教文学としての物語がここから始まります。


「観音華」
熊野の那智の滝には、那智大社という神社と青岸渡寺というお寺があります。
その青岸渡寺の末寺に補陀落山寺というお寺があり、那智の浜のすぐ近くに建って
います。
この曲はその補陀落山寺に伝わる「補陀落渡海」を描いた曲です。

このお寺の住職は、代々浄土を求めて7日間の食料しか持たずに舟に乗り那智の
浜から船出する慣わしでした。もちろん死を覚悟した旅立ちで、帰ってきた人は
いません。出で行く僧は覚悟を持って旅立つのですが、その覚悟も刻一刻と迫る
渡海の前に揺らぎ、また舟に乗り込んでからもまだ揺らぎつづけ、波に揺られて
行く中でやっと心の中に悟りを自覚する、その様を描いています。

この曲は2004年熊野補陀落山寺にて初演されました。


「秋月賦」

平家物語の「月見」という部分を琵琶曲に編曲したものです。京都から福原へ
遷都し、京の都は荒れ果てて行くますが、慣れ親しんだ都に思いをはせ都に
赴いた時の情景を描いています。

ここは平家物語で一番美しい場面とされていますが、単に懐かしい云々と
いうことではなく、仏教文学としての平家物語は、ここでも人間の果てしない
業を描いていると言われています。戦いなどは出てきませんが、荒れ果てた都は、
いつの世も人間の尽きる事の無い業が作り出した象徴として描かれています。


ひとこと

武士道教育の為の音楽として誕生した薩摩琵琶は、近世の邦楽のような
舞台で聞かせる音楽ではありませんでした。薩摩琵琶を弾く事は
精神修養であり、剣の修行と同じ意味を持っていました。


一方、楽琵琶は殿上人の教養として、歴代天皇においては、政治的にも、
宗教的にも取得しなければならない必須科目でありました。このように
琵琶楽は日本の音楽の中でも特殊な位置にあります。現在では雅楽も
薩摩琵琶も、エンターティメントとして楽しむようになりましたが、
その成り立ちの特殊性は、今でも色濃く残っています。

私はそんな琵琶楽が本来の持っている精神性を基本にして、
現代そして次代に向けて演奏して行こうと思っております。
古から現代へ、今に続く琵琶楽をお聞き下さい。










作品について A     前澤祐子


はるはあけぼの「秋」
清少納言作・「枕草子」は“はるはあけぼの…”で始まります。
その
 春、夏、秋、冬 を愛でた折々の季節夫々に、曲を作りました。
別々にも、また四季を全て通しても吹けます。

今日は  のみを選びました。いずれ、春から冬の四季全てを
通してお聴き頂きたく思います。



「橋」
京都の賀茂別雷神社を訪れた時の事。
深遠なご本殿の近くの小さな流れ「御物忌川」に屋根を持つ

小さな橋「片岡橋」が掛っています。
その数歩で渡りきれる橋を渡ろうとした時、おそらく屋根が
あるせいでしょう、周りの緑と屋根の奥に見える緑が、足を
止めて見つめる程違って見えました。
その印象を心に頂戴して旅を終え、以前に流れを題材にした
曲「?リョウ」に託しきれなかった思いを「橋」に込めました。

戻れない橋を渡るとき、下を、後ろを、先を。
人は見るのかしら。
いったい、どの様な思いで渡るのだろう



 … ひとこと…

 笛を吹きたくなって、母にねだって
 買ってもらったのは、十六の頃。
 教えてくれる人も無く鳴らせぬ数日間に
 情けなく諦めた時に、音が出た。
 音が出れば全てを肯定。


 成人して鯉沼廣行氏に出会った事で笛に戻り、
 笛を楽しみ教えることに難しさを感じつつ、

 今まで何故笛と共に来たのか。

 昔ほど全てを肯定する勇気は
 大人になれば無くなるものなのに。

 恐らく…深い樹々の間にある不思議な空気。
 空間による圧力の違い。等々。

 それが笛の音のように感じる自分と離れたくないから。
 空気の隙間から音を抜き出し、竹の振動に合わせてみる。
 そうすると、自分の周りの空間が変わる。
 その変化に振り回されることも有るくらいに。
 でも、古くから有る楽器なのに、
 古の人達は秘密にでもしていたのか、
 
笛の個性を独奏楽器として表にしてこなかった。

 竹の中空は音の宝庫。
 そこからひとつの音を選び愛しむ事ができれば、
 笛も喜んでくれるかしら。










作品について B     堀江はるよ

「春風」
ひとりであそぶ、春うらら。


「鶴〜つるの民話をもとに」


 一、 
 雪空を、群れからはぐれた鶴が一羽、飛んでいます。
 高く啼く声に、応えはありません。

 二、炉辺
 炉辺でくつろぐ若者とツル。
 酔って眠る若者。傍らでツルは想いに沈みます。
 自分は人になれるのだろうか…と。

 三、村の辻
 陽の光の中で、村人たちとツル、遊ぶ子ども達。

 四、機屋(はたや)
 村の女は、機を織ります。ツルも、機を織ります。
 雪に閉じ込められた機屋で、来る日も、来る日も。

 五、織る
 機の音に、崩れてゆくものがあります。
 とどめようもなく甦る鶴の心、人の姿は失われて、
 機の前に居るのは、一羽の鶴です。

六、飛ぶ 終曲
飛ぶことへのためらい…
やがて心を決めて、翼を広げ、ツルは地を離れます
夕空を、鶴が遠ざかってゆきます。



  ひとこと

今回の「鶴〜つるの民話をもとに」は手を加えての再演です。
芝居などと同じように、音楽にも、舞台にかけてみて初めて分かる事があります。
一番に感じたのは、邦楽と洋楽の違いです。勿論そういうことは十分に考えて作曲
していましたが、ホールでの演奏を聴いて初めて「あぁ、こういうことなのだ」と
肌で感じる発見があり、書き直したいと思いました。

邦楽と洋楽の違いは、洋服と和服の違いに似ています。
洋服は、指定通り身につけてゆけば誰でも一応それらしく着ることが出来ますが、
和服は、心得の無い人が紐を締め帯を結んでも、それだけではサマになりません。
平坦な布は、まとう人の技によって初めて、見るに値する形になります。


すぐれた邦楽奏者は、洋楽からは想像もつかないシンプルな楽譜から、その作品の
本来の姿を立ち上げます。むしろシンプルな譜面こそが、演奏者の力を引き出し、
多くの事を表現させるのです。そういうことを私は理解しているつもりでしたが、
その度合いが私の想像を遥かに超えていました。


「春風」には、もう一つの問題がありました。今日は同じ琵琶で演奏しますが、
実は「鶴」は「塩高モデル」の楽琵琶にあてて、「春風」は、従来の楽琵琶でも
弾けることを目的に作ってあります。「塩高モデル」の楽琵琶は、新しい音楽にも
対応するように作られた、現代的な面も併せ持つ楽器なので扱いは楽でしたが
従来の楽琵琶は、正倉院御物と同じ形に作られた、歴史の生き証人のような楽器で
す。どんなふうに考えれば、この楽器の自然に添った音楽を作る事が出来るのか、
初めは全く見当がつきませんでした。


今まで知らなかった楽器のために作曲するとき、いつも私は、自分で判断する力を
育てる為に演奏者に助けを求めます。今回この、正に古を今に伝える楽器、楽琵琶
の作品を書くについては、塩高さんから実に忍耐強いサポートを頂きました。
何しろ、私自身が諦めかかった時にさえ、諦めようとはされなかったのですから。


   塩高さん、ありがとう!
     ここに改めて深く感謝します。


                     堀江はるよ エッセイのサイト 「カタツムリの独り言」
                            http: //www.h-horie.com/







の響き〜古から今へ
第三回は計画中です。

どうぞこれからも、音人をを よろしくお願い申し上げます。


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 かたつむり出版・音人

 http://www.h-horie.com/
チラシ





                       
                       
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