「マシュー・ボーンの白鳥の湖」 私見による解説 〜これから見る人と、もう見た人のために〜 堀江はるよ
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マシュー・ボーンの「白鳥の湖」を、2005年4月8日、オーチャードホールで見た。 前後して幾つか、解説のようなものを読んだが、 マシュー・ボーン自身のものではなく、どれも私には、 本質的なところで納得できなかった。 感じたことを整理したくて文章にした。解説というより私的メモ。 役名だけは間違いの無いよう当日の配役表で調べたが、後は感じたまま。 資料を調べたわけでもなく、間違い勘違いの可能性は多々ある。 登場人物を中心にシンプルに書いた。 振り付け、音楽、その他については触れていない。 ★ [執事] すべてを支配している存在。世の中の仕組みとでも言おうか。 王子も女王もガールフレンドも、彼に操られている。 ★ [女王] 依存的な母。 愛する力は無くて、愛されることばかりを求めている。 ★ [王子] 幼いときに充分な愛情を注がれなかったために、 自分が自分であることを肯定する気持(アイデンティティ)が育っていない。 満たされなかった愛情を、大人になっても母に求め続ける(近親相姦的な場面)。 母に拒否された王子は、ガールフレンドに愛を求める。 ★ [ガールフレンド](娼婦) 自己の確立されていない女性。 男性の依存に応えることで生きている存在。 執事は、王子の欲求を満たすために彼女を買う。 彼女は王子を愛するが、自己を持たない愛は王子の心の支えとならない。 私は、オフィーリア(父親によってハムレットに差し出される)を連想した。 ★ [スワンの群れ] 王子の内面。自我。 自分の意志を持つことなく生きてきた王子にとって、 自我の目覚めは、苦しみでしかない(寝室に現れた白鳥の群れ)。 ★ [ザ・スワン] 王子の自己(アイデンティティ)。 ★ 〜酒場から公園へ〜 母への依存を拒否された王子は、ガールフレンドの愛を求めて酒場に行く。 そして彼女が娼婦(依存に応えることで生きている存在)であるのを知り絶望する。 公園で、王子は死のうとするが、 自分を抹殺しようとした刹那、自己と出会う。 王子は初めて、自分を愛すること…自分が愛すること…を知る。 老婆への抱擁とキッスは、王子が主体的な愛を持つようになったことを表す。 しかし、喜ぶ彼の子どものような笑顔に、私は目覚めた自我の幼さを感じた。 ★ [ザ・ストレンジャー] 王子の思い描く男性像。 成熟した男性と心を通わせることなく育った王子は、 性的に他を圧倒し、暴力的に支配する存在として、男性をイメージする。 舞踏会の客が、自己を支配する存在を、むしろ歓迎する様子は、 ナチスやオウムの出現を連想させる。 ★ 〜舞踏会〜 ザ・ストレンジャーは、女王(母)を支配し、 すべての女性を魅了し、すべての男性を従える。 しかし王子は、母を支配することも、人々を魅了し従えることも出来ない。 王子のイメージする男性像は、王子自身を否定する。 王子は、ザ・ストレンジャーをピストルで撃つ(イメージの否定)。 自分の意志を持った王子を、執事が撃つ。 王子を庇ったガールフレンドが、執事に撃たれて死ぬ。 ★ 〜手術〜 意志を持った王子は、執事と女王によって否定される。 映画「カッコウの巣の上で」のロボトミーのイメージが重なる。 女王の仮面をつけた看護婦たちは、王子のアイデンティティの否定が、 母親からのメッセージによって行われることを暗示している。 ★ 〜終幕〜 王子の内面に於ける葛藤。 傷ついたスワンは、周囲との闘いに敗北した王子の自己。 王子の幼い自我は、敗北した自己を受け入れることが出来ない。 ザ・スワンに襲い掛かるスワンの群れは、王子の自己否定を表す。 人は往々にして、自分に対して最も残酷になるのではないか。 内面の葛藤にも敗れた王子は、精神の死と共に肉体の死に至る。 これは全くの間違いかもしれないのだけれど、私は、 ザ・スワンに捺された赤い刻印から、聖書の中の神によってカインに与えられた、 「打ち殺されることのない者」の印を連想した。 2005年4月12日 |
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